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かぼちゃ電車 : ミニ英和和英辞書
かぼちゃ電車[くるま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

かぼちゃ電車 ( リダイレクト:湘南電車 ) : ウィキペディア日本語版
湘南電車[しょうなんでんしゃ]

湘南電車(しょうなんでんしゃ)は、国鉄東海道本線湘南地域を走る電車の愛称である。当初は1950年より運行された80系電車による電車列車の愛称であったが、その後、車両によらず東海道本線の東京駅 - 熱海駅沼津駅間の電車列車(中距離電車)の通称として用いられた。80系電車に用いられた緑色に窓まわりのオレンジを配した塗装は「湘南色」とも呼ばれ、「湘南色」をまとった電車に対する総称としても用いられる様になった。一方、車両形式のとしての80系電車は「湘南型電車」などとも呼ばれた。
== 由来 ==

東京と小田原・熱海・沼津の間に運転されていた電気機関車牽引の客車列車の国鉄部内呼称である「湘南列車」〔星晃「誕生の頃の思い出あれこれ」鉄道ピクトリアル 1965年3月、「湘南電車の誕生」として交友社刊『回想の旅客車 上』に収録〕が、1950年3月から電車運転へと切り替えられる際に「湘南電車」と呼び変えられ〔沢柳健一「80 系湘南形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年3月号 鉄道図書刊行会〕、一般にも用いられる様になった〔。「湘南列車」が国鉄部内での呼称であったのとは異なり、「湘南電車」という呼称が一般に浸透したのは、車体の色彩によるところが大きい〔弓削進「国電復興物語」鉄道ピクトリアル 1954 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 17 国電復興時代 1950』鉄道図書刊行会 (2009) 所収 〕。しかし、小田原以西では受け入れられず〔、運用開始時の小田原駅の看板では「湘南伊豆電車」が用いられた〔〔。計画段階では「湘南電動列車」という語も用いられ〔星晃「湘南電車誕生の思い出」レイル '83 エリエイ出版部 プレス・アイゼンバーン 1983年7月、「電動列車時代の幕開け」として交友社刊『回想の旅客車 上』に収録〕、また、東海道線電化当初、東京と小田原の間ならびに東京と横須賀の間に運転された列車には「湘南旅客列車」という呼称が用いられていた〔山本利三郎「東海道線電化を讃える」鉄道ピクトリアル 1975 年 12 月号 pp. 6 - 9〕。
電車化の際、新たに開発された80系電車が専用に導入され、「湘南電車」の名はひいてはこの80系のことをも指すようになる。
80系は、機関車牽引の客車列車を加減速・高速性能に優れた電車に置き換える目的で開発された長距離運転用電車であった。このため、高速性能を確保しつつ、在来客車に近い水準の接客設備を備え、また当時日本の電車最長の16両編成が可能な仕様であった。
当時の国鉄では、電車は都市近郊での短距離運転向けのものと見なされていただけに、80系を使用し、120km以上の長距離を、在来電車では先例のない客車列車並みの長大編成で運行したことは画期的だった。投入当初は初期故障を連発させ〔、新聞紙面で「遭難電車」と揶揄されもしたが〔「国電50年を偲ぶ 座談会」電気車の科学 1956-8 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 17 国電復興時代 1950』鉄道図書刊行会 (2009) 所収 〕、ほどなく安定運用が可能となり、国鉄での電車による長距離列車運転は広く定着していった。1950年8月から京阪神間急行に用いられ〔1958年に「湘南色」に変更されるまでは、ぶどう色3号とクリーム3号のいわゆる関西色塗装であった。『鉄道ピクトリアル』2004年3月号 p.27、星晃「湘南電車誕生の思い出」前掲。〕たほか、東海道線の電化区間西伸にともない80系の運用区間も西進し、その後山陽線、上越線、東北線、信越線、中央線、飯田線、身延線でも運用され「湘南」の範囲に収まらなかったが、80系に対して「湘南形電車」という呼称が用いられた。80系電車によっていた準急東海用に開発された153系電車が「新湘南」と呼ばれた時期もあったが、次第に「東海形」と呼ばれる様になり「新湘南」は定着しなかった〔星晃「30年代の急行形『電車・気動車』」交友社刊『回想の旅客車 上』収録〕。1962年に登場した111系電車により「湘南電車」は順次置き換えられ、80系電車の東京駅乗り入れは1976年に終了した〔小榑宏明「80系電車終焉に至る配置・運用の推移」鉄道ピクトリアル 2004 年 3 月号 pp.18-23〕が、運行系統として「湘南電車」の呼称は以後も用いられた。しかし、1980年代以降、旅客案内上は湘南電車にかわり東海道線が使用されるようになっている〔朝日新聞で同時代の東海道線電車の意味で「湘南電車」が注釈なしに用いられたのは1987年7月3日朝刊が最後であり、以降は読者投稿での想い出としての言及や、車両の引退記事で用いられている。〕。21世紀初頭の時点で、JRにおいて路線(もしくは区間)の愛称として「湘南電車」が使用されることは基本的になく、そのほとんどが湘南新宿ライン上野東京ラインとなったが、大船駅東海道線ホームのグリーン車停車位置案内板には「グリーン車(湘南電車)はこの付近に止まります」という表示が存在している。ただし、英文での表現は、"Shonan Train"ではなく"Tokaido Local Line"となっている。また、鉄道関係者や愛好者の間では慣用句として廃れずに用いられており、書籍などで表題に使われる場合もある〔たとえば、鈴木亨 (1988)『湘南電車歴史散歩』鷹書房 ISBN 4-8034-0339-2〕。80系投入当初より使用された車体塗装のカラーリングである、オレンジと緑のツートーンカラーを指す「湘南色」という呼び方は広く通用している。
さらに2004年に国鉄時代から使用していた113系を本区間から運用撤退させる旨の発表がJR側からなされると、一部のマスコミが「湘南電車の引退」と報じた〔たとえば、朝日新聞2006年03月18日朝刊 39 頁、2001年12月01日朝刊埼玉版35頁など。〕。2006年3月17日の営業運行終了に際して、JR東日本側でも「さよなら湘南電車」として沿線観光パンフレットを製作、最後まで運用した編成の先頭車前面に「ありがとう113系電車」と表記した4種類のステッカーを貼付、さらには藤沢駅東海道線ホームのキヨスクを80系に擬装するなど、単なる「車両の引退」という枠を超えたPRも行っていた。これは近年の一般社会で用いられた珍しい例といえる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「湘南電車」の詳細全文を読む




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