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くぼりん : ミニ英和和英辞書
くぼりん
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


くぼりん ( リダイレクト:久保田智子 ) : ウィキペディア日本語版
久保田智子[くぼた ともこ]

久保田 智子(くぼた ともこ、1977年1月24日 - )は、日本アナウンサー報道記者TBSテレビアナウンサー兼報道局記者。
== 略歴 ==
1977年1月24日神奈川県横浜市出生。父親は広島県出身で〔「生まれたのは横浜」「横浜の中でも4回くらい転校」「父親が自分の実家のある、生まれ育った広島に、、、一緒に戻りました」「それが中学校1年生のとき」。 高須光聖「御影屋」にて久保田智子との対談より
(参考)「私の母の出身地佐渡には、」 Twitter 2015年2月11日 〕、妹が1人いる。小学校までは神奈川県で過ごし、海老名市立有鹿小学校横浜市立緑小学校横浜市立竹山小学校に通学した。中学校1年の時に〔広島県東広島市高屋に転居した。このため、公式プロフィールでは広島県出身としている。東広島市立高屋中学校広島県立広島皆実高等学校卒業。高校1年の夏休みに、アメリカ合衆国カリフォルニア州チノ市でホームステイした。
広島皆実高等学校時代の同級生には元プロサッカー選手山根巌が居り、1期上の先輩に元プロサッカー選手の下田崇(現サンフレッチェ広島コーチ、元サッカー日本代表選手)、1期下の後輩にアニメーション作家のひだかしんさく、2期下の後輩に為末大(元陸上競技選手)がいる〔久保田が2005年世界陸上ヘルシンキ大会ではキャスターとして現地からリポートを担当した際には為末が男子400mハードルで銅メダルを獲得した場面を伝えた。〕。
東京外国語大学外国語学部に入学し、欧米第一課程英語専攻。大学3年次にカリフォルニア大学リバーサイド校への留学経験がある。また、竹内香苗は久保田の1年後輩にあたり、会社でも2012年に退社するまで1年後輩であり続けた。
東京外国語大学卒業後、2000年4月にTBS(東京放送)〔2001年9月まではラジオテレビ兼営局だったが、その後ラジオ・テレビともに子会社として分社化された(ラジオは2001年10月に「TBSラジオ&コミュニケーションズ」へ、テレビは2009年4月に「TBSテレビ」へそれぞれ移行)。東京放送はテレビの分社とともに持株会社・「東京放送ホールディングス」となり、「TBS」の呼称もTBSテレビの略称として継承された。〕にアナウンサー第35期生として入社(同期は山内あゆ)〔『TBS50年史』資料編P240〕〔『TBSアナウンサーの動き』P34を参照。〕。2001年から『はなまるマーケット』の当時レギュラーだった森尾由美が司会を務めていた「お願い!すすメール」というコーナーで、同僚の山内あゆと共に出演していた。
また2001年から2008年までの7年間、『どうぶつ奇想天外!』4代目アシスタントを務める。『どうぶつ奇想天外!』の番組中で自身のキャラクターとしてペンギンのマペットをデザインし、TBSショップで販売していたこともあった。また番組の企画でを飼い始めたのがきっかけで、自身の愛猫家ぶりをTBSアナウンサーブログに綴るようになる。
2002年4月からは入社3年目にして朝の情報番組『おはよう!グッデイ』のメインキャスターを元フジテレビアナウンサーで編成局専任局長だった露木茂と共に1年間務め、2003年からは『おはよう!グッデイ』の後枠番組としてスタートした『ウォッチ!』に先輩である土井敏之と1年間引き続きメインキャスターを務めた後に 2004年3月29日より再び『はなまるマーケット』に再登板、斎藤哲也と共にアシスタントとして出演し、主に『とくまる』『はなまるカフェ』『水野真紀の気ままに1DAYレッスン』を担当していた。
2004年9月27日からは小倉弘子の後任として『筑紫哲也 NEWS23』のスポーツコーナーを担当、長らく朝番組を務めてきた久保田にとって初めて深夜番組のキャスターとなった。その間、2004年10月、旧TBSの企業再編により、ほかの全アナウンサーとともに、TBSテレビ(旧TBS系テレビ制作子会社3社合併により発足した会社)へ出向。『NEWS23』には2年間登板したが、番組リニューアルに伴い2006年9月22日の放送を最後に降板。しかし、降板直前の放送における落合博満(当時中日ドラゴンズ監督)へのインタビューがきっかけとなり、また自身の後任者であった高野貴裕が取材に行けなかった関係から、同年10月10日の中日のリーグ優勝決定当日には、降板後にもかかわらず同番組に登場し祝賀会のリポーターを務めた。ただし、ビールかけ実施は番組終了後のため生放送はされず、翌日の同局の各ニュース・情報番組などで取材VTRが使用されたのみだった。
『NEWS23』を降りた後は昼枠に転じて2006年10月2日から2009年3月26日までは昼の情報番組『2時っチャオ!』のアシスタントを務めていた。
2008年3月8日J-WAVEのラジオ番組『RADIO DONUTS』にゲスト出演した。放送局のアナウンサーが系列外の放送局の番組に出演するのは数少ない例であるが、同番組に、かつて『NEWS23』で共演していた山田玲奈がアシスタントとしてレギュラー出演していたことから実現した。
また久保田は業務の都合上、週6日勤務のハードスケジュールをこなしていた時期が過去に3回あった。
#2008年10月から2009年7月まで…従来の『2時っチャオ!』に加え、『報道特集』〔2010年4月3日から、『報道特集NEXT』より改題。〕のニュースを担当。この時点で後輩の蓮見孝之岡村仁美らも週6日勤務だった。『2時っチャオ!』終了後も新たな帯番組『サカスさん』を担当していたが、同番組が週5日から週4日の放送に縮小され(同年9月終了)、一旦は生放送への週6日出演はおよそ10か月で解消。
#2010年1月から9か月間…『みのもんたの朝ズバッ!』出演のため『報道特集NEXT』→『報道特集』と合わせて再び週6日勤務となっていた。
#2011年4月から5か月間…『Nスタ』出演のため、『報道特集』とラジオ『プレシャスサンデー』と合わせて三度目の週6日勤務となったが、同年8月に『報道特集』を降板した。
2009年4月1日、旧TBS(東京放送)が持ち株会社「東京放送ホールディングス(TBSHD)」になったことに伴い〔、ほかの(2004年度までに旧TBSへ入社した)アナウンサーとともに、正式にTBSテレビ所属のアナウンサーとなった。
2010年以後は報道・情報系番組にシフトチェンジし、2012年4月から1年間は堀尾正明と共に『Nスタ』キャスターを務めた。
2013年4月から報道局外信部兼務となり、アナウンサー兼記者として活動している〔〔。同年8月1日付でアメリカ合衆国ニューヨーク支局へ赴任することとなった〔〔が、翌2014年2月19日に帰国したことをブログにて報告した。ちなみに同支局には、2004年10月から2005年7月まで、先輩アナウンサー・小川知子が研修を兼ねて派遣されていた。しかし、特派員として海外の支局へ正式に赴任したTBSアナウンサーは、久保田が初めてである〔〔。
2014年、アメリカ合衆国からの帰国と共に報道局政治部へ異動となり、併せて土曜朝の新番組『報道LIVE あさチャン!サタデー』の出演者に名を連ねている。2015年4月からは経済部へ異動した。
2015年5月5日、日本テレビの政治部記者と結婚。
2015年11月30日から2016年2月5日まで、産休の膳場貴子に代わって『NEWS23』のメインキャスターを務めた〔。これにより4度目の週6日勤務となっていた。
2016年3月26日付で最後の担当番組『報道LIVE あさチャン!サタデー』を降板し、放送終了後に公式ブログで「ニューヨーク駐在の夫と一緒に生活する為、TBSを退職する」ことを発表した。尚、年次有給休暇の残留分を消化するため、当面はTBSに籍を残す予定〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「久保田智子」の詳細全文を読む




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