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くりはら田園鉄道線(くりはらでんえんてつどうせん)は、宮城県登米市の石越駅と同県栗原市の細倉マインパーク前駅まで結んでいた、くりはら田園鉄道の鉄道路線である。 == 概要 == 1921年、宮城県北西部にある登米郡石越村(現・登米市)の石越駅から栗原郡沢辺村(現・栗原市)の沢辺駅までの約9kmの区間において、762mm軌間の軽便規格路線〔ただし軽便鉄道法ではなく軌道法に準拠している〕を以って開通した。その後、会社は二度社名を変えつつ、細倉鉱山までの延長(全線:25.7km)、直流電化および1,067mmへの改軌を相次いで実行し、東北随一の近代的な路線へと成長した。しかし、乗客・貨物の減少により1970年から赤字経営に陥り、1988年に細倉鉱山が閉山となると収入の柱であった貨物輸送が廃止され、経営悪化に拍車をかけた。 欠損補助打ち切りを契機として、1993年には三セク化により路線が沿線自治体の手に委ねられることとなり、さらに1995年には設備の老朽化により電化を廃し、社名もくりはら田園鉄道と改めて廃止までの10年余りを運行した。なお、電化廃止により新造した気動車(ディーゼルカー)による運行となったが、架線柱などは存置され、また旧来のタブレットや腕木式信号機などの信号設備が引き続き使用されたため、電化時代の面影を廃線時まで色濃く残していた。しかし、その後も乗客の減少は続き、赤字の大半を補填していた宮城県が2003年に支援打ち切りを表明し、以降も状況が好転しなかったことから、2007年にやむなく廃線となった。 ファイル:KuriharaDenenTetsudo2005-10b.jpg|栗原田町駅 - 尾松駅間 (2005年10月17日) ファイル:Tablet exchange in kurikoma station.jpg|栗駒駅でのタブレット交換 (2007年4月27日) File:KuriharaDenenTetsudoLine.JPG|気動車時代の車窓 架線柱や腕木式信号機が見える (2004年9月25日) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「くりはら田園鉄道線」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kurihara Den'en Railway Line 」があります。 スポンサード リンク
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