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ここがSF一丁目( - えすえふいっちょうめ)は、東海ラジオ放送で放送されていた夜の若者向けワイドラジオ番組。1986年10月から1988年9月まで放送されていた。 == 概要〔この節においての出典は、「ラジオ新番組速報版」、月刊「ラジオパラダイス」1988年8月号特集「全国4大エリア 夜ワイド合戦絵巻」(いずれも三才ブックス刊)より。〕 == 東海ラジオは、『ミッドナイト東海』『とびっきりNiGHT』など深夜放送でリードしてきた感があったが、その手法を夜ワイドに持ってくることになった。東海ラジオではそれまでに実質上夜9時台~12時台の夜ワイドは存在しておらず、ほぼ新設というような形であった。当時、東海地区のAMラジオにおける夜間の若年層向けプログラムは、既に『小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス』(CBCラジオ)が覇権を握っており、それに対抗できるパーソナリティをということで、ミッドナイト東海で大きな人気を誇っていた宮地佑紀生、河原龍夫の2人が選ばれた。1988年4月からは、レポーターを務めていた原光隆アナウンサーもメインパーソナリティに昇格した。 なお、この番組のタイトルの『SF』とは、東海ラジオのコールサイン『JOSF』のことである(同じ1986年10月に深夜でスタートした『SF Rock Station』と同じネーミング)。ただし東海ラジオ制作の番組表では、シャレなのか、宇宙服に身を包む人の絵が描かれていた。 しかし、この番組の放送時間が『わ!Wide』の半分以下の1時間30分だったうえ、番組独自のコーナー・企画などの進行が可能な、この番組の売りとも言える時間帯がほぼ午後9時台に集中したこともあって、この直前に放送されていた『ガッツナイター』が延長すると当然放送時間が短くなり、22:30を過ぎてもナイター中継が終わらず、番組自体がまるまる休止になってしまうこともあった。こういった面でも、24:40まで放送のあった『わ!Wide』と比べて不利な状況にあったと言える。なお、午後10時台は、スポンサー付きのコーナー、内包番組が存在するなど横割りの編成になっていた時間帯であり、この番組が始まる以前から午後10時台で放送されていた帯番組の殆どが、そのままこの時間帯にスライドしてきていた。わずかな新機軸はおニャン子クラブの帯番組(後述)程度しかないという状態だった。 1988年3月に午後9時台において、それまで全曜日で同じコーナーをやっていた横割りの編成を、曜日別に違うコーナーを行う縦割りの編成にするなど、番組のリニューアルを図ったものの、結局本番組は2年で終了することとなった。なお、この番組の末期パーソナリティ陣であった宮地佑紀生、河原龍夫、原光隆、鈴木恵美アナウンサーの4人は全員が、この後1988年10月から20:40-21:30の時間で始まった『うたワイドベスト50』のパーソナリティとしてスライド登板している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ここがSF一丁目」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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