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『この子の七つのお祝いに』(このこのななつのおいわいに)は、1982年10月9日公開の日本映画で、原作は斎藤澪。第一回横溝正史ミステリ大賞を受賞した同名小説の映画化作品である。 ==あらすじ== 昭和25年頃、東京都大森の古い木造アパートで真弓と娘の麻矢が2人きりで住んでいた。真弓は麻矢に「お父さんは私達を捨てた悪い人。恨みなさい、憎みなさい。大きくなったら必ず仕返しをしなさい。絶対に許しては駄目。」と毎日毎晩教え込み、虐待していた。そして麻矢が7歳の正月、真弓は彼女に晴れ着を着させて手首と頚動脈を切って自殺した。 それから約35年後〔劇中、東北新幹線の上野-大宮間がまだ開業前であることから昭和57年-昭和60年と推定される。〕、ある日の夜に東京の住宅街で池畑良子が残忍な手口で殺された。初め警察は、殺害方法や被害者の派手な男性関係から、犯人は男とみられたが、その後、現場に残されていたケーキから、そのケーキを売っていた店に聞き込みをしたところ、死亡推定時刻直前にサングラスをかけた女がケーキを買っていたことがわかり、犯人は女と断定された。 一方、元新聞記者のフリーライター・母田耕一は池畑良子から秦一毅や妻・「青蛾」麗子についての秘密を教えてもらう約束をしていたが、その前に殺害されたので秦と青蛾が事件に関係していると睨んで調べ始める。そして、母田は調べを進めては自身が新聞記者だった頃の後輩・須藤洋史の行きつけのバーで須藤と事件について情報交換をした。その後、母田は秦の過去を調べていく内、その秘密が会津にあることを突き止めて会津に向かうものの帰京してすぐに殺されてしまう。警察は手首を切っての自殺だと断定するが、須藤は取材ノートから会津の件が消えていることで他殺だと気づく。また母田は須藤がまだ駆け出しの頃、取材の"いろは"を教えてくれた恩人だったため、危険を覚悟の上で母田の遺志を継いで事件の捜査を始め、会津で犯人に関する事実を知った矢先に青蛾惨殺の報を受ける。 その頃、漸く父・高橋佳哉を見つけ出した麻矢は復讐すべく子供の頃に住んでいた木造アパートに呼び出し、同行した須藤の前で高橋が父親であり母と自身を捨てたのだと語る。実は、母田は事件の真相を会津で知るが、愛するがゆえにゆき子に敢えて殺されたのだった。しかし、そこで麻矢にとって思いがけない事実を知り愕然となる。真弓と高橋との間に生まれた娘・麻矢は生まれてふた月と経たない頃、ネズミに顔中を齧られ喉を喰いちぎられて死亡しており、ショックのあまり精神を病んだ真弓は日に日に異常な言動が目立つようになり身の危険すら感じた高橋が生き別れの妻・みやこと再会したのを機に彼女の元に去り、正常な思考や判断が完全に出来ない狂人と化した真弓は2人の間に生を受けた娘・きえを盗み出して復讐の道具に仕立て上げたのだった。それこそが麻矢として育った彼女だった。最初は高橋の話を否定するゆき子だったが、調査の過程で「本当の麻矢」が死亡していたことを知った須藤にアルバムと犯行現場の彼女の手型を鑑定するよう勧められ、自身が「麻矢」ではないことを悟ったゆき子は事実に耐え切れずに精神が崩壊してしまう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「この子の七つのお祝いに」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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