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こやぶかずとよ ( リダイレクト:小籔千豊 ) : ウィキペディア日本語版
小籔千豊[こやぶ かずとよ]

小籔 千豊〔*>小籔の『やぶ』は藪や薮ではなく、正しくはである。〕(こやぶ かずとよ、1973年9月11日 - )は、日本喜劇男優お笑いタレントミュージシャンよしもとクリエイティブ・エージェンシー東京吉本)所属。吉本新喜劇座長〔。大阪府大阪市住之江区出身。
== 略歴 ==
1993年、山田知一(現在はやまだともカズの名で構成作家として活動)と漫才コンビ「ビリジアン」を結成〔〔。フルーツ大統領のメンバーに編成されるなどするも、相方の山田が構成作家を志し、見捨てられるようなかたちで2001年に解散〔。この時「俺はおもろない、売れない」と思っていたという〔。
小籔は二つの夢を持っており、一つは芸人の世界で成功すること、もう一つは幸せな家庭を築くことであった〔。だが小籔は芸人として売れる夢は潰えたと考え、芸人を辞め警察官〔もしくは普通の職業〔に転職し、交際中の女性と結婚し、幸せな家庭を築こうと考えたが〔、芸人仲間の野性爆弾ロッシー、シャンプーハット小出水〔、ケンドーコバヤシバッファロー吾郎〔らに「絶対売れる」と慰留され〔、こんなに気のいい人たちばかりの職場は無いと感動〔。交際中の女性に「一年だけ」と約束し、芸人を続けることとなる〔。なおこの時、映画監督である山田洋次の助監督から、お笑いが駄目なら役者になれば絶対食える、東京ではスラッっとしていたら男前は普通だが、スラッとしてブサイクと言う小籔には絶対に需要があり、食っていけると助言されていたと言う〔*>すなわち小籔によればコンビ解散当時、芸能界の引退以外に、新喜劇、ピンで東京、ピンで大阪、新しくコンビを組んで大阪、コンビで東京、映画俳優、と言う6つの選択肢があった。〕。
解散と同じ2001年中に、吉本新喜劇に入団。だが入団後9ヵ月ほどはずっと「お客さんの役」をやらされ、辞めようかとも思ったほどであると言うが〔*>小籔によれば、新喜劇はお笑い界の中で恐らく一番「チャンス」が無いところで、台本や芝居の進行通りに動くしか無く、若手が自己主張を行うことが難しい環境であった。〕、「大きな声を出すとあばら骨が折れる」虚弱なチンピラ役や〔のちに座長の一人となる川畑泰史と組んでの芸が人気を集める〔。なお当時小籔と川畑はくすぶっている者同士非常に仲が良かった。酒の席での大見得をきっかけに小籔と川畑で作ったプロットを新喜劇の台本作家・壇上茂に見せてみたところ、壇上はこれを評価し、脚本化した。その舞台が好評であったため、定期的に小籔・川畑のコンビが見られるようになったと言った次第である。
実は生活の安定を志し、バッファロー吾郎Aの勧めもあり〔新喜劇に入団したのであるが、吉本の社員には「新喜劇は芸人再生工場じゃない、辞めろ」などと言われ〔、さらに新人である小籔の月収は平均2万円程度に過ぎず、男が食わせていくものだと思っていた小籔にとっては相当に辛い状態であったが、ファミレスでのバイトとのかけもち、および妻の収入、そして趣味であった漫画とカメラを一時辞めることで不遇の新婚生活を乗りきったという〔〔〔。
2004年ごろからは座長不在時に代役を務めるなどの役目を任されるようになる〔〔。時期は不明ながら、内場勝則も「お偉いさん」の前で、「これからは小籔や!」と発言したという〔。そのためか、次の舞台では話の中心となる役が回ってき、さらにその次は一番出番の多い役が回ってきたという〔*>小籔はそのお陰で今の僕があると思っている、としている。〕。また同年秋からはNHK朝の連続テレビ小説わかば』のレギュラーに抜擢され、原田夏希演じる主人公若葉の先輩職人・杉本康博役を演じた。またこの時期漫才コンビ中川家の兄、が体調を崩しており、その代役をきっかけとして新喜劇以外の仕事も増えていく〔。
2005年3月には「吉本新喜劇 川畑泰史・小籔千豊公演 がんばろっカナ!〜キャンペーン」をなんばグランド花月にて開催〔コヤブガチピン写真館(フジテレビONE)公式サイト 〕。
2005年8月ごろに座長就任要請があり〔〔、2006年1月31日に座長就任が発表された〔。その後2月28日に襲名御披露目を行い、その後1週間は「小籔祭り」として名実共に初の座長公演が行われた。初回の襲名口上には、内場と辻本、吉田ヒロの3座長と未知やすえが脇を固めた〔吉本新喜劇ブログ: 小籔新座長! 〕。この期間は、小籔より名前が大きい「オオヤブ」姓の人〔、身長188センチの小籔より背が高い人(女性の場合はハイヒールでもOK)〔、「千」より大きい名前(万田さん、千一さんなど)〔の人は入場無料扱いになった〔。
小籔の座長就任は吉田ヒロ以来約7年ぶり。新喜劇入団以来約4年と言う異例の早さでの大抜擢であった。これには小籔本人も非常に驚いたと言う〔。小籔は「平社員が社長になった感じ」、「奇をてらったことはしない」、「伝統8割、新しいこと2割で行きたい」、「一子相伝の技を受け継いでいきたい」などと抱負を語った〔。
その後2011年、プライベートでは子供が産まれたばかりで好ましいタイミングではなく、乗り気でもなかったが、「東京にも新喜劇を広めたい」との思いから、東京吉本へ移籍を決断〔。新宿ルミネtheよしもとなどで公演を行う。
なお2014年現在、東京移籍もありタレントとしても成功しているが、新喜劇を離れるつもりは全く無く〔、先輩方が50年間培ってきた新喜劇をより大きくして後輩に渡すのが自身の役目であると語り〔、現在新喜劇は名古屋以東に名が轟いていない、聞いたことはあるが実際に見たことのある若い人は少ないとして、新たな顧客を確保すべく新喜劇の本格的な東京進出を計画〔〔。2014年には吉本が所有していない「アウェー」の劇場俳優座劇場での公演が決定し、普段ルミネに足を運んでくれている「吉本ファン」以外にも笑ってもらえるように内容を工夫するなど、「新喜劇を古典にする気はない」などと、精力的に活動している〔〔〔*>小籔は5年ほど前から所属する吉本に公演を打診していた。2014年現在、小籔が東京のテレビ番組にも出演するようになったことから、吉本からOKが出た。小籔は自身が東京に移籍した時点で目標の半分は達成されたとしている。〕〔。
新喜劇外の活動としては、2006年上方お笑い大賞の話題賞を受賞したほか〔、2003年1月16日には同じく新喜劇を主戦場とするレイザーラモン出渕誠住谷正樹)とのユニット「ビッグポルノ」を結成〔〔*>当時は新喜劇であまり人気が出ず、同じ時期に新喜劇に在籍し同じ境遇にいたレイザーラモンと意気投合し、結成されたもの。〕〔。コントやラップ、トークなど、様々なパフォーマンスを行った。また、2005年8月31日には「国立文楽劇場より愛をこめて」と題して同所では異例のコントライブを行い「伝統とエロスのコラボレーション」(小籔談)を具現化してみせ、ラップナンバー「SUNRISE SUNSET」ではボーカルとラップを務めた。
より多くの人にビッグポルノを見せたいという思いから、サマーソニックなどの野外音楽フェスティバルに出演を希望したが、全て断られたため〔、それなら隣でコヤソニやって潰したろか!とボケたのがきっかけとなり〔、小籔の顔の広さもあってイベントが実現〔。自らお笑いと音楽を融合させた野外イベントを企画し、最初は1回だけの予定だったが〔、2008年から「コヤブソニック」として毎年規模を拡大させながら開催してきたが〔〔、2014年にビッグポルノが解散することをうけ、同年で終了した。
また、土肥ポン太と「おくにと申します。」というコンビを組み2005年のM-1にも挑戦した。翌2006年は「座長・社長」とコンビ名を改め出場した。また、翌2007年は、川畑と座長座長として出場し、準決勝進出(敗者復活は辞退)。また、座長座長として『キングオブコント』にも出場し、2008年には準決勝進出。
2008年2月20日に、亡くなった小籔の母親への後悔の思いを歌った「プリン」を発売し、歌手デビューも果たした(後述)。
タレントとしても多くの番組に出演し、松本人志のすべらない話などにも出演しているが、これについてはあくまで新喜劇の広告塔として出演していると語っている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小籔千豊」の詳細全文を読む




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