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落胤(らくいん)とは父親に認知されない庶子、私生児のこと。歴史上では高貴な人物の出自でそれが話題になることが多い。落とし胤(だね)、落とし子とも。正式な血統の一族とはみなされないので、正当な系図には記載されていない。 このような子は一般民衆に混じって生活している。当時の実力者によって、正当な血統を継承する者とされて権力に利用されることがあるが、歴史の表舞台に出てくる人物の多くがそのような確証に乏しく(さらには天一坊改行のように落胤を自称した例もある)、研究上疑問視されている例が多数みられる。 == 歴史上に登場した落胤といわれている人物 == *藤原不比等:飛鳥時代・奈良時代の公卿。天智天皇の落胤説がある〔『興福寺縁起』、『大鏡』、『公卿補任』、『尊卑分脈』〕。 *空也:平安時代中期の僧。生存中より醍醐天皇の落胤説があったが、真相は不明〔寺史 - 六波羅蜜寺 では「第二皇子」とされる。〕。 *平清盛:平安時代末期の武将。『平家物語』に描かれているように白河法皇の落胤という説があるが疑わしい。 *崇徳天皇:第75代天皇。白河法皇の落胤で、表向きは父親である鳥羽天皇からは「叔父子」と呼ばれていたという説がある〔『古事談』。〕が、真偽は不明。 *八田知家:平安時代末期の武将。源義朝の落胤で、朝家と名乗った説があるが、真偽のほどは不明である。 *島津忠久:島津氏の祖。源頼朝の落胤説があり、島津氏もこれを称してきた〔『島津国史』、『島津氏正統系図』〕が、現在では惟宗忠康の子とする説が有力。 *大友能直:大友氏の祖。源頼朝の落胤説がある〔『大友記』〕。 *結城朝光:結城氏の祖。源頼朝の落胤説がある〔『朝光公記』〕。 *岩松満純:室町時代中期の武将。新田義宗の落胤とされる〔『系図纂要』〕が、確証はない。 *足利義尚:室町幕府第9代将軍。出生に関して、後土御門天皇の落胤との噂があったと伝えられる。応仁の乱当時、天皇は将軍御所へ避難するために同居しており、足利義政と不仲だった日野富子との関係が噂されたことによる。 *一休宗純:室町時代後期の名僧。後小松天皇の落胤といわれている〔東坊城和長『和長卿記』明応3年8月1日(1494年8月31日)条〕 *細川藤孝:戦国時代の武将。室町幕府将軍足利義晴の落胤との説がある〔『細川家記』〕。 *大谷吉継:戦国時代の武将。豊臣秀吉と側室東殿の落胤説がある〔テレビ番組「決着!歴史ミステリー」にて採り上げられた()。〕。 *淀殿:戦国時代の女性。豊臣秀吉の側室。伯父・織田信長の落胤説がある〔テレビ番組「超歴史ミステリーロマン4 女たちの戦国」にて採り上げられた()。〕。 *天草四郎:江戸時代の人物。豊臣秀頼の落胤であるとの風説がある〔『耶蘇天誅記』〕。 *永見貞愛:安土桃山時代から江戸時代の人物。徳川家康の落胤で、結城秀康の双子の兄弟との説がある〔『柳営婦女伝系』(『徳川諸家系譜』第1巻 続群書類従完成会)の長勝院(小督局)の項に結城秀康が双子であったと記されており、また、高野山にある小督局の墓には永見貞愛の名も刻まれている(秋元茂陽 『徳川将軍家墓碑総覧』星雲社、2008年)。〕。 *土井利勝:江戸時代の大名、老中・大老。『徳川実紀』などで徳川家康の落胤との説が採り上げられている。 *松平康重:江戸時代の大名。徳川家康の落胤説がある〔清水昇・川口素生『徳川一族 時代を創った華麗なる血族』(新紀元社、2008年)〕。 *井伊直孝:江戸時代の大名。徳川家康の落胤説がある〔国宝・彦根城築城400年祭 列伝井伊家十四代 第6回 鬼を継ぐ夜叉~井伊直孝 其の壱~ 〕。 *松平民部:江戸時代の武将。徳川家康の落胤説がある〔『幕府祚胤伝』(『徳川諸家系譜』第2巻、続群書類従完成会)〕。 *小笠原権之丞:江戸時代の武将。徳川家康の落胤説がある〔。 *2代後藤庄三郎(広世):江戸時代の御金改役。徳川家康の落胤説がある〔 『後藤庄三郎由緒書』〕。 *保科正之:江戸時代の大名、会津藩初代藩主。徳川秀忠の本物の落胤であり、後に認知され松平姓を名乗ることを許された(実際に改めたのは3代目正容から)。 *柳沢吉里:江戸時代の大名。徳川綱吉の落胤説がある〔『三王外記』〕。 *天一坊改行:江戸時代の人物。徳川吉宗の落胤であると称したが、吉宗の命によって獄門にされた。 *藤堂平助:幕末の新撰組隊士。伊勢津藩主藤堂高猷の落胤であるといわれている〔永倉新八『同志連名記』に「藤堂和泉守落胤」とある。〕が真相は不明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「落胤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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