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新興産業株式会社(しんこうさんぎょう)はかつて存在した建材会社。2003年に倒産。 == 解説 == 1976年設立。本社は東京都渋谷区代々木にあったが、その後渋谷区渋谷の自社ビルに移転し、末期には港区に移転した。 外壁材『パッ!とさいでりあ』や屋根材『パッ!とやねでりあ』を全国発売していたことで知られる。1991年から放送された、作曲家でタレントの小林亜星を起用した「パッ!とさいでりあ」のCMが人気を集め、CMソングはシングルCDとしても発売された(その他に俳優の古谷一行も出演していた)。 設立当初はガス漏れ警報器の販売を行っていたが、後にリフォーム業に進出し、約25年にわたり、外壁材・屋根材を中心に、販売・施工の事業を行う。社長(当時)安田修が一代で全国63店舗・2000名の社員を有する会社となり、最盛期には500億円以上の年商を誇り、業界最大手とし業績を伸ばす。もっとも、社員のノルマは大変厳しく(現在でいうところのブラック企業)、その強引な訪問販売も問題となった。 軽くて丈夫な外壁材として、金属サイディングや金属屋根材をメジャーにした功績は大きく、同業他社や各メーカーも認めるところであった。 1991年から放送されたテレビCMもユニークで人気があったため、「サイディング=パッ!とさいでりあ」と勘違いしている一般ユーザーも多くいた。 本社ビルの建設や不動産など大型の投資を計るものの、景気の低迷と共に売上が減少し本業を圧迫してゆく。このため事業所の縮小も行っていくが、2003年1月に1回目の不渡り手形を出して経営破綻となり事業を停止、その直後に2回目の不渡りを出して倒産した。負債総額は約220億円。同年1月14日付で解散し清算会社となった。2005年11月11日破産手続開始決定。2013年3月現在、破産手続は継続中である。 社長(当時)の安田修は倒産以前はJRAの馬主として知られ、シンコウラブリイやシンコウフォレスト、シンコウキングなど冠名「シンコウ」の競走馬を所有していた。 かつて同名であった繊維メーカー(現・東洋紡STC)とは当然ながら人材・資本関係は一切ない。 CMは地域によっては、社名が地域のグループ会社名に差し替えられていた(静岡県を除く東海地区では名古屋新興株式会社(1986年に当社から独立。2004年に自己破産)が担当していたため、テロップが「名古屋新興」になっていた)。 なお、別法人が「パッ!とさいでりあ」「パッ!とやねでりあ」など建材商品の商標、意匠、特許権を買い取り、新事業として2003年10月 株式会社さいでりあを設立しているが、新興産業とは買い取り以外の関係は無い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新興産業 (建材)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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