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「さよならのあとで」はジャッキー吉川とブルー・コメッツの楽曲である。 1968年10月に、コロムビアの洋楽レーベル『L盤』より発売された。ブルー・コメッツが「脱GS宣言」を行った後の初のシングル盤。橋本淳作詞、筒美京平作曲・編曲。 == 解説 == 一番若い三原綱木をメインボーカルに据え、それに井上忠夫のボーカルが絡む形になっている。井上は曲の最後にセリフも入れている。 オリコンのヒットチャートで最高で3位を記録、当時レコードの売れ行きが鈍っていた同グループにとって久しぶりのヒット作となった。 後年のグループ・サウンズ史においては『GS歌謡曲化の尖兵』と位置付けられ、ある種の「戦犯」のような扱いを受けることも少なくない。「問題の曲」「これ(本作)以降ブルコメをGSとして紹介するのが忍びない」などと、なかには糾弾するかのような言い方〔こういった表現は、GS研究家として活動していた黒沢進の著作(徳間書店・刊『熱狂!GS図鑑』など)に多くみられた。〕もある。 この路線転向に関して、後年ブルー・コメッツの元メンバーは「ブルー・コメッツはGSばかりにカテゴライズされるものではない。エレキサウンドが流行った頃は『エレキバンド』と言われ、その前にフォークが流行った頃は『フォークグループ』と言われてきた。時代によって呼ばれ方や捉え方が違っていたのだから」と語っている。 なおこの作品より、日本コロムビアからCBSレーベルが離脱(正確には1968年6月をもっての原盤契約終了)したため、「(洋楽レーベルとしての)COLUMBIA」(L盤)の日本ローカル盤からのリリースとなった〔1968年7月にCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント(SMEJ))が業務を開始した際、同社は米コロムビアと日本コロムビアの原盤契約を根拠に、当時のCBSコロムビアレーベルに所属した邦人アーティストが、全員自動的にCBS・ソニーに所属すると公表した。しかしその後、改めて原盤契約の条項の是非が問題となり、その結果、ヴィレッジ・シンガーズや伊東きよ子などのCBSコロムビアレーベルの邦人アーティストは、そのままCBS・ソニーレコードに移籍した。但しブルー・コメッツは、一旦CBS・ソニーレコードに形だけ籍を置いたものの、その満了後改めて日本コロムビアと原盤供給契約を締結、事実上日本コロムビアに残留した。〕。 本作は中身こそ歌謡曲だが、レコードの分類上はポピュラーソングに属する形のため、当時のコロムビアのラジオ番組「L盤アワー」では、「サイモン・セッズ(Simon Says)」や「グリーン・タンブリン(Green Tambourine)」といったコロムビアから発売された洋楽と並んで、本作「さよならのあとで」が紹介されていた〔「L盤」の歌謡曲は、他に高倉健「望郷子守唄」、いしだあゆみ「太陽は泣いている」「ブルー・ライト・ヨコハマ」等がある。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「さよならのあとで」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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