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さらしなの里 : ミニ英和和英辞書
さらしなの里[り]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 

さらしなの里 : ウィキペディア日本語版
さらしなの里[り]

さらしなの里(さらしなのさと)は、東京都中央区築地三丁目にある1899年明治32年)創業のそば屋店舗
== 概要 ==
さらしなの里は、麻布永坂「更科」(現・更科堀井)の最初の暖簾分けの支店である。更科堀井の創業は1789年寛政元年)、信州出身で信州特産晒布の保科家御用布屋だった八代目清右衛門が、領主保科兵部少輔からそば打ちがうまいのを見込まれ、布屋よりも蕎麦屋の方が良いのではと勧められ、麻布永坂町の保科家の江戸屋敷傍に、そば屋「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を創業したのが始まり。
当初は、大名屋敷寺院などに出入していたが、明治時代半ばの最盛期には、皇室宮家などにも出前を届けた。創業以来、五代目布屋松之助に至るまで、麻布永坂「更科」は一軒も支店を出さなかった。1869年明治2年)、神田錦町に分店「神田錦町更科分店」が始めて開店した。支店は、1899年明治32年)、「さらしなの里」が始めて、初代赤塚善次郎「麻布永坂更科支店布屋善次郎」を開店した〔岩崎信也著、『蕎麦屋の系図』、「更科の系図」、光文社、2011年7月20日、国立国会図書館蔵書、2016年2月20日閲覧。〕。
信濃の国はかつては科(シナ)野の国で、科の木の多いところだった。この木の皮を剥いで縄につくり、布を織ったり、紙をすいたりした。仁科は煮科、保科は穂科、科の花の形容か、更科は晒科の意か、この科の皮は丈夫なので桶のたがにも利用されていた〔植原路朗著、『そば物語』、井上書房、昭和34年12月1日、国立国会図書館蔵書、2016年2月25日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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