|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 宙 : [ちゅう] 【名詞】 1. space 2. air 3. midair ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦艦 : [せんかん] 【名詞】 1. battleship ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(さらばうちゅうせんかんヤマト あいのせんしたち)は、1978年8月5日に東映系で公開されたアニメーション映画。 通称は「さらば」「さらヤマ」など。外国語表記は「Arrivederci Yamato」(アリーヴェデルチ ヤマト)〔「Arrivederci」はイタリア語で「さらば」の意。〕。 == 作品解説 == テレビシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』の続編(厳密に言うと本作を含めた続編は劇場版第1作の続編ではない)であり、「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の第2作。総集編だった劇場版第1作と異なり、完全新作のオリジナルストーリーである。1978年8月5日公開の夏休み映画で、全国133の映画館で封切りされた〔『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.106〕。本作では地球と白色彗星帝国との戦いを通じてヤマト乗組員達の死が描かれた。 1977年公開の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の成功を受けて、同年11月に本作の製作が決定した〔『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、pp.102-103〕。第1作のようにオフィス・アカデミーの制作だと正月映画となるため、夏休み公開を目指して制作能力の高い東映動画が制作に参加し〔「西崎義展 自らの人生を映画にかける」『キネマ旬報』1978年8月上旬号、pp.61〕、以後、東映動画は昭和の宇宙戦艦ヤマトシリーズの劇場版を担当することになっていく。脚本と絵コンテに4か月をかけ〔、1978年5月24日に製作発表が行われた。配給を担当する東映の岡田茂社長は配給収入の目標を15億円としたが〔『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.103〕、目標を上回り前作の2倍以上の21億円とアニメ映画史上に残る大ヒットとなった。 監督は舛田利雄と松本零士が共同で担当。本作では舛田の意見が随所に反映されており、特にクライマックスのシチュエーションは舛田の監督作である石原裕次郎主演の戦争映画『零戦黒雲一家』との類似性が指摘される。本作から登場する宇宙騎兵隊の斉藤始は舛田が発案したオリジナルキャラクターである〔舛田利雄著、佐藤利明、高護編『映画監督舛田利雄 アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて』ウルトラ・ヴァイヴ、2007年、pp.294-295〕。 主題歌の歌手には人気歌手の沢田研二を起用した。当時はアニメに一般の大物歌手を使うことは異例だったが、沢田が歌う「ヤマトより愛をこめて」はオリコンにもランクインするヒットをした。本作では他にもコスチュームデザイン協力にファッションデザイナーの花井幸子を起用する試みを行い、パブリシティに一役買っていた〔池田憲章編『アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ』徳間書店、1982年、pp.110-111〕。 1978年5月の製作発表記者会見で西崎義展プロデューサーは「これで、ヤマトを最後にしたい」と語っており〔『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.104〕、最後に表示される観客向けのテロップの字句は、初公開時は「もう二度と姿を現すことはない」と明言したものであった。これは1979年夏のヤマトフェスティバルでの公開版以降では「あなたが生きる限りヤマトも生き続けるでしょう」という意味のテロップに差し替えられている〔池田憲章編『アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ』徳間書店、1982年、pp.116-117〕。ビデオソフトやテレビ放送時は地上波、BS、CSを問わず差し替え版で、DVDでも初発売のLDサイズケースのものでは差し替え版だったが後に発売されたものでは初公開時のテロップが再現されている。Blu-rayには両方収録されており、どちらかを選択して再生できる。なお、このテロップは西崎プロデューサーの発案である。 本作公開の2か月後の10月14日より、テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2』が放映された。本作と『宇宙戦艦ヤマト2』はストーリーの大要は共通しているものの、結末が大きく変更されている。『宇宙戦艦ヤマトシリーズ』の後発作品は本作ではなく、主役とヒロインが生き残った『宇宙戦艦ヤマト2』のストーリーを受け継ぐこととなる。 * 本作と「宇宙戦艦ヤマト2」の結末が大きく異なることについては、ふたつの見解がある。 * 監督である松本は戦争の記憶の残る時期に発表された前作において「目的を果たし、生還する」というメッセージ性を強く意識しており、ゆえに彼は本作の結末が特攻を美化するとして良しとせず、「生き残って再建の苦しみを描くべき」と主張した。そのため、後にテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2』が製作されることになる〔本作公開以前の1978年6月25日発行の「ヤマトファンクラブ本部」会報第4号にて初報道されている。〕。 * 一方、安彦良和によると、本作がヒットした結果、製作側は「もっと続編が作りたくなっちゃって、また生き返らせろというんですよ(笑)」ということになり、安彦は反対したものの本作のキャラクターは生き返り、続編を制作することになった〔『動画王』vol.7 キネマ旬報社、1998年、171頁。〕。 2代目艦長土方役は当初、俳優の三船敏郎や仲代達矢〔 完結編でナレーターを担当〕が候補に上がっていたが、出演料が高額であるのと西崎プロデューサーの方針で流れたのだという〔『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.104〕。結果、前作でナレーターをつとめた木村幌が演じた。 キャッチコピーは「永遠の愛とロマンをのせて――ヤマトはいま、最後の戦いが待つ宇宙のかなたへ…」。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Farewell to Space Battleship Yamato 」があります。 スポンサード リンク
|