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さんぢゑご丸(さんぢえごまる)は、三菱商事が保有した石油タンカー。日本最初のディーゼル推進タンカーである「さんぺどろ丸」型の2番船として1928年に竣工した。太平洋戦争前に建造された日本の航洋タンカーのうち終戦時に健在だった唯一の船で、戦後も船団式捕鯨や石油輸入に長く活躍した。32年間も一貫して石油輸送に従事した功績から、「さんぢゑご丸を知らずして、タンカーを語るなかれ」と日本の海運関係者の間で評された〔日本郵船(1971年)、下861頁。〕。 == 建造 == 1920年代になると、軍艦をはじめとした船舶燃料の石炭から重油への切り替えが進むなど、石油需要が拡大した。日本でも傾向は同様で、1921年(大正10年)に初の近代的な国産航洋タンカー「橘丸」が竣工したのを皮切りに、石油輸入用のタンカー建造が始まっていた。そこで、日本海軍向けの石油を取り扱ってきた三菱商事は、石油需要のさらなる拡大を見越し、タンカー3隻を新造することにした〔松井(1995年)、17頁。〕。 こうして、三菱商事が1926年(大正15年)末に発注したのが、「さんぺどろ丸」級タンカーである。その2番船は、1928年(昭和3年)1月に三菱長崎造船所で進水して「さんぢゑご丸」と命名され、同年3月8日に竣工した〔。なお、姉妹船としては3番船の「さんるいす丸」が建造されたほか、小倉石油が船主の「第一小倉丸」と「第二小倉丸」も同型である。後に、寸法をヤード・ポンド法からメートル法に改めて再設計した、「さんらもん丸」級2隻も建造されている〔。 船体の基本的なデザインは、船尾機関型で船首寄りに船橋を置いた当時の典型的な大型タンカーである。油槽は18個のタンクと12個のサマータンクに区画されていた〔松井(1995年)、18頁。〕。油槽のほか、船首近くには容量1000トンの通常貨物用船倉が設けられており、北米向けの生糸輸出に使うことが想定された。この貨物倉の蓋に1番船の「さんぺどろ丸」では横へスライドするマッカンキング式を日本で初めて採用したが〔、「さんぢゑご丸」は異なった形式の可能性がある〔岩重(2011年)、92頁。〕。 「さんぺどろ丸」級の最大の特色は、日本のタンカーとして初めてディーゼルエンジンを搭載したことである〔。経済性の高い大型商船用ディーゼルエンジンは、1920年代に本格的に実用化され、日本でも1924年(大正13年)竣工の貨物船「赤城山丸」から導入が始まっていた。本船はスルザー社製のディーゼルエンジンを採用した〔。後の大型タンカーと異なって有事の補給艦としての利用は考慮されていなかったため、経済性重視の低出力機関で、低速船であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「さんぢゑご丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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