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しなの鉄道株式会社(しなのてつどう、)は、長野県上田市常田一丁目3番39号に本社を置き、県内で北陸新幹線の並行在来線を経営する第三セクター鉄道事業者である。 本項では、しなの鉄道が運行している観光列車「ろくもん」についても記述する。 == 概要 == 北陸新幹線高崎駅 - 長野駅間の先行開業に際し、東日本旅客鉄道(JR東日本)から並行在来線として経営移管されることとなった信越本線の軽井沢駅 - 篠ノ井駅間を経営する会社として設立された。同区間は1997年(平成9年)10月1日、新幹線開業と同時にしなの鉄道に移管され、しなの鉄道線として開業した。 長距離客が新幹線に移乗したことなどにより開業当初から経営は苦しく、2001年9月の中間決算では累積赤字が24億円以上になり、資本金23億円を上回る債務超過状態に陥った。そのため、同年に「しなの鉄道経営改革に向けての提言」を策定。2002年6月からは旅行会社エイチ・アイ・エス (HIS) から杉野正を社長に迎え、退任するまでの2年間に高齢者の乗降介助を行う「トレインアテンダント」やサポーター制度の新設といった経営合理化を進めた。不公平な契約の解消など様々な無駄の削減や第三セクター特有のお役所仕事的な社風の変革などに取り組んだ一方、旅客サービスの後退もあった。開業直後には多くの駅でJR東日本線への連絡乗車券が発売されていたが、2002年に連絡乗車券の発売駅・発売範囲が大幅に縮小され、使用されなくなった発券機は会社の公式ウェブサイトで一般向けに販売されるなど奇抜な展開を見せた。 杉野の半ば体育会系・営業マン的な経営手法により、しなの鉄道は減価償却費前の利益で黒字計上するに至ったものの、2004年には減損会計導入を進めたい当時の長野県知事田中康夫と「上下分離方式」を主張する杉野が対立を起こして社長を辞任した(なおその後、杉野は埼玉高速鉄道の代表取締役に就任)。その後、スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)の元社長であった井上雅之を社長に迎えて減損会計に踏み切り、その結果、2005年度決算において開業以来の初めて最終損益において黒字を計上するに至った。井上雅之の下でも駅構内で宝くじを販売するなど異業種的な発想が実行された。 井上は2008年9月30日付で退任し、空席となっていた社長のポストには、2009年6月からJR東日本出身の浅海猛が就任。分離元鉄道事業者の社長は設立以来初めてのことであった。これは、2015年(平成27年)春に予定される北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間延伸開業に伴い、JRから経営分離される信越本線の長野以北区間の経営主体として、しなの鉄道が候補である点を睨んでの起用である旨を、当時の長野県知事村井仁が示唆している〔しなの鉄道社長に浅海氏、初のJR出身 - 信濃毎日新聞、2009年5月29日(インターネット・アーカイブ)。〕。 その長野駅以北の県内区間にあたる信越本線の長野駅 - 妙高高原駅間についても、しなの鉄道が運営主体となる旨が2012年(平成24年)4月に決定し、2013年3月には同区間の路線名称を「北しなの線」とする旨を発表した〔しなの鉄道、長野以北の経営引き受け決議 臨時株主総会 - 信濃毎日新聞、2012年4月18日(インターネット・アーカイブ)。〕〔長野以北開業準備状況 - しなの鉄道(2014年6月27日閲覧)〕。北しなの線は同新幹線の延伸開業日にあたる2015年(平成27年)3月14日に開業し、同日以降、しなの鉄道が運営する鉄道路線は前者のしなの鉄道線と、後者の北しなの線の2路線となる。なお篠ノ井駅 - 長野駅間は同新幹線の延伸開業後も引き続きJR東日本が運営するため、しなの鉄道線と北しなの線は同区間を挟んで直接接続しない飛地路線となるが、両線には距離を通算した運賃が設定されている(北しなの線に関する経緯等は後述)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「しなの鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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