|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 由 : [よし] 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause ・ 理 : [り] 【名詞】 1. reason
しまざき 由理(しまざき ゆり、1956年12月5日 - )は、日本の歌手である〔''しまざき由理''、日本コロムビア、2014年7月15日閲覧。〕〔''しまざき由理''、テレビドラマデータベース、2014年7月15日閲覧。〕〔『愛と死のパスポート』シングルジャケット記述、日本コロムビア、1974年7月付。〕〔『面影』シングルジャケット記述、日本コロムビア、1975年7月1日付。〕〔作品データベース検索サービス 検索結果、日本音楽著作権協会、2014年7月15日閲覧。〕〔ベテラン歌手のしまざき由理さん 、日刊ゲンダイ、2013年4月12日付、2014年7月15日閲覧。〕。本名・旧芸名嶋崎 由理(読み同)〔〔〔〔。島崎 由理の表記も用いられていた〔。日本コロムビア所属〔〔〔。1970年代には小学館プロダクション(現在の小学館集英社プロダクション)に所属した時期もあるが〔〔、現在はフリーランス〔。『ハクション大魔王の歌』(1969年)、『みなしごハッチ』(1970年)、『面影』(1975年)等で知られる〔〔。 == 概要 == 1956年(昭和31年)12月5日、愛知県名古屋市千種区に生まれる〔〔〔。 小学校6年生であった1968年(昭和43年)、フジテレビジョンの視聴者参加番組『日清ちびっこのどじまん』に出演、グランドチャンピオンになる〔〔〔。当初は本名の嶋崎 由理で活動する〔〔。同番組出身の少女歌手には、ほかに堀江美都子、小野木久美子(現在のかおりくみこ)、長谷川よしみ(現在の長谷川コッペ)らがいる。このころキングレコードから『真夏の女の子』をリリースしている。 翌1969年(昭和44年)、フジテレビジョンの『紅三四郎』の2代目エンディング『夕陽の男』を山尾百合子とともに歌い、日本コロムビアから正式に歌手デビューした。1970年(昭和45年)1月、『みなしごハッチ』の録音をしたとき、嶋崎は中学1年生で、ちょうど声変わりの時期だった〔木村, p.43-46.〕。その影響で声に艶がなく、最高音が伸びなかった〔。竜の子プロダクション(現在のタツノコプロ)社長・吉田竜夫、同曲の作詞者・丘灯至夫が見守るなか、何度リテイクしても失敗し、嶋崎はとうとうトイレにこもって泣き出した〔。その後、歌い直すと、声の艶がもどっており、一発でOKになった〔。以来「泣かせるとうまく歌う」という評判がたった〔。 1975年(昭和50年)3月、菊華高等学校を卒業、同年4月、東京女子体育大学に進学する〔〔。同年5月に放映を開始した連続テレビ映画『Gメン'75』主題歌、シングル『面影』が7月1日に発売され、同シングルは140万枚を売り上げた〔〔木村, p.174.〕。同作以降、しまざき 由理と改称する〔。1981年(昭和56年)、満24歳で見合い結婚〔、浅野ゆう子、にしきのあきら、千昌夫らとならび『オールスター大運動会』の常連であったが、1982年(昭和57年)1月の『新春オールスター大運動会』以降、姿を消した〔週刊, p.86.〕。 2009年(平成21年)2月23日に放映された、『はっけん たいけん だいすき! しまじろう』第46話『ふしぎなこくばん』の挿入歌『アッパレ!いちばん』を歌った。2014年(平成26年)5月21日、『アフターアワー』『しまざき由理 Gメン'75を歌う』が再発売された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「しまざき由理」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|