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とりい かずよし(1946年11月12日〔まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、263頁〕 - 、本名:鳥居 一義〔)は、日本の漫画家、愛知淑徳大学文化創造学部およびメディアプロデュース学部教授。 == 来歴 == 愛知県額田郡額田町(現・岡崎市)出身、額田町立形埜中学校卒業〔。19歳の時に映画製作の道に入るが、入社した日本放送映画がアニメーション制作の事業に乗り出し、アニメーターに転身。後にスタジオ・ゼロへ移籍し、原画スタッフをしていたところを同社役員で同じビルに仕事場を持っていた赤塚不二夫にスカウトされ、1968年にフジオ・プロダクションへ移籍。赤塚のアシスタントを務め〔、またアイデアマンとして赤塚や長谷邦夫、古谷三敏とともに『おそ松くん』『天才バカボン』『もーれつア太郎』のネタ出しに携わった。 1969年に『別冊少年サンデー』(小学館)4月号掲載の読み切り作品『くちなし犬』でデビューした後〔、同年の『週刊少年ジャンプ』(集英社)23号から人情ギャグ漫画『トイレット博士』の連載を開始(当初は「赤塚ギャグ笑待席」の読切連載だった)。同作品は、自身の代表作になるのと同時に、単行本の発行部数が1000万部を超える爆発的なヒット作になった。同作品序盤の徹底したスカトロジー表現は、恩師・赤塚の「お前は顔が汚いからウンコ漫画を描け」という指示を受けてのものであった〔「あとがき・解説」『愛蔵版トイレット博士』第1巻、太田出版〕。しかし、この路線が次第に飽きられてきたところでジャンプの担当編集者だった角南攻をモデルにした〔「BEARS 30th LEGEND 週刊YJクロニクルズ」『週刊ヤングジャンプ』2009年7号(1月29日号、31巻5号、通巻1424号)集英社、435頁〕「スナミ先生」を登場させ、教え子の一郎太・三日月・チン坊と「メタクソ団」を結成させたところ、人気が爆発。全国各地にメタクソ団支部が結成されるほどの一大ムーブメントが巻き起こった。 1971年秋に独立。その後は1980年代半ばまでギャグ漫画を描き続けるが、『ビッグコミックスペリオール』(小学館)連載の『トップはオレだ!!日本一のセールス男』以降はストーリー漫画中心に転向して現在に至る。 漫画だけでなく、テレビドラマのシナリオも執筆している。また、1990年代に名古屋テレビで放送されたローカル深夜番組『サラリーマン・アワー 平成のオキテ』のオープニングタイトル画も担当していた。熱烈な中日ドラゴンズファンで、『月刊ドラゴンズ』(中日新聞社)に『ドラパパ』を連載していた。とりいのギャグ漫画には、台詞に名古屋弁がよく使われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「とりいかずよし」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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