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どおくまんプロ ( リダイレクト:どおくまん ) : ウィキペディア日本語版
どおくまん

どおくまんは、日本漫画家。本名は鈴木和明。大阪市東淀川区出身。1960年代から活動している。漫画執筆にあたって同じ東淀川区出身の4人組の共同ペンネームとして「どおくまんプロ」も名乗る。
当初、独漫のペンネームであり、「孤独な漫画家」の意であった。その後、1人での漫画製作は厳しいと、実弟の「太地大介(本名・鈴木信治)」、大阪芸術大学で知り合った「小池たかし(本名・小池隆)」「みわみわ(本名・宮勝彦)」に声を掛けた〔。この時にペンネームを漢字の独漫から、大阪の「お」を入れ、ひらがなにしたどおくまんとし、4人組の名前として「独立大阪漫人集団」の略からどおくまんプロとした〔〔どおくまんプロ結成秘話 | その1 - どおくまんプロ少年誌読者用BLOG 2010年11月15日〕。
「どおくまん」が複数人で使用しているペンネームであるとの勘違いも多いが、あくまでも「どおくまん」は1人である〔。
== 経歴 ==
幼い頃は普通に漫画、貸本漫画を読んでいた。特にさいとう・たかをのヒット作『台風五郎』を気に入るが、特に漫画家を志すようなことはなく、成長するにつれ漫画とは離れてスポーツ一辺倒の高校時代を過ごす〔。大学時代になり、つげ義春みやわき心太郎山上たつひこらの漫画を読むようになり衝撃を受けるが、あくまでも読者、ファンとしてであり、漫画家を志すことはなかった〔。
転機は、18歳のどおくまんが『サンデー毎日』で大賞賞金1000万円の漫画賞を開催していることを知ったことである。賞金目当てに発奮し、漫画の描き方もわからなかったが、画用紙に墨汁と筆で処女作『人形の疑惑』というサスペンス漫画を執筆し応募する〔。1次選考から3次選考まで通過し、ベスト20には残るものの、大賞は逃す(ただし、大賞そのものが該当無しであった)〔。この後、2作目を大手出版社の少年漫画誌の懸賞漫画に投稿し、これが佳作を受賞。本誌にも掲載され賞金も獲得する〔。どおくまんはここから本格的に漫画家を目指すことになる。
しかしながら、執筆した10作品、約300ページの原稿をトランクに詰め込んで上京し、大手出版社の編集に見せた際にはほとんど相手にされなかった。どおくまんは、その足で、創刊したばかりで新人を多く起用しているという集英社の『少年ジャンプ』編集部へ向かう。この時に『花田秀治郎』が編集の目に留まり、『月刊少年ジャンプ』での掲載がその場で決まった〔。『花田秀次郎くんシリーズ』は月刊少年ジャンプで隔月連載となる。この頃から、どおくまんプロも結成しているが、小池たかしは単独で漫画を執筆し『週刊少年ジャンプ』に読み切り掲載も行っており、締切間際に手伝いに来る程度であった。また、小池を除く3人は、漫画を描く傍ら、どおくまんの実兄が経営する工場で働いていた〔。
1975年に再び転機が訪れる。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)の編集長壁村耐三からの執筆依頼の電話がどおくまんの働いていた工場にかかってきたのだ〔。これを機に『月刊少年チャンピオン』(秋田書店)1975年4月号より『暴力大将』が連載されることになり、この連載は1985年まで続くことになる。同年10月には『週刊漫画アクション』(双葉社)でも『嗚呼!!花の応援団』の連載が始まる。『嗚呼!!花の応援団』は1976年に映画化もされ、その年の邦画配給収入ランキング第8位のヒット作となり、続編映画も製作された。
最盛期には、月産500ページを超し、雇っていたアシスタントも30人近い大所帯となっていた〔。
実弟である太地大介が亡くなった〔太地大介の想い出 その1 - どおくまんプロ少年誌読者用BLOG 2013年4月24日。記事によれば太地が亡くなって25年経ったとある。〕後は、何のために漫画を描くのかわからなくなり、モチベーションが低下。『週刊少年チャンピオン』で連載していた『怪人ヒイロ』の完結以降は、いったんペンを置き、どおくまんプロも小池たかしとみわみわに任せる形となった〔。なお、『怪人ヒイロ』は担当編集者の計算ミスにより、単行本のページ数が足りない状態で連載が終了。編集長の壁村はコミックス描き下しで良いとの判断だったが、30年以上最終巻が出ないことになった。
また、『別冊少年ジャンプ』に「花田秀治郎シリーズ」を隔月連載していた1974年に、非商業的漫画を掲載していた雑誌『ガロ』に「どく・まん」名義で「粗相」という作品を持込、掲載されている〔。
過去に一度だけ、クイズダービーに出演したことがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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