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どろろと百鬼丸 : ミニ英和和英辞書
どろろと百鬼丸[まる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひゃく]
  1. (num) 100 2. hundred 
: [おに]
 【名詞】 1. ogre 2. demon 3. it (i.e. in a game of tag) 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 

どろろと百鬼丸 ( リダイレクト:どろろ ) : ウィキペディア日本語版
どろろ[まる]

どろろ』は、手塚治虫による日本少年漫画作品である。またそれを原作としたTVアニメ実写映画小説やそれらに出てくる登場人物の名前のこと。

== 概要 ==
戦国時代の北陸や能登半島を舞台に妖怪から自分の身体を取り返す旅をする少年・百鬼丸と、泥棒の子供・どろろ。この2人の妖怪との戦いや、乱世の時代の人々との事件を描く。
1967年8月27日号より『週刊少年サンデー』(小学館)で連載が始まるが、暗く、陰惨な内容が読者に受け入れられず、単行本では『無常岬の巻』にあたる話の1968年7月21日号の回で打ち切りとなる。テレビアニメ化に伴い掲載誌を替えて1969年、『冒険王』(秋田書店)で昭和44年5月号から10月号まで連載。5月号とその別冊付録、6月号に設定を一新した新たな内容の序盤が掲載され、続いて新作が連載され10月号で一応の完結をみるが、こちらもストーリーとしては中途までとなり、きちんとした物語の完結には至らなかった。単行本は週刊少年サンデーの内容をもとに冒険王の話もまとめられ、加筆、細部の変更、修正、削除を加えられて発刊されたが、見開きや扉絵は収録されていない。単行本は、連載された話の順番を入れ替えた秋田書店サンデーコミックス版と、後に連載順の内容で編集され細かな修正がなされた講談社手塚治虫漫画全集版の2種類が存在しており、手塚治虫漫画全集の発売後に出版された文庫サイズの漫画は秋田書店、講談社どちらも手塚治虫漫画全集版と同じになっている。漫画以外のメディア展開は上記のテレビアニメの他、ゲームソフト実写映画も製作された。
時代劇で妖怪物というかなり特殊なジャンルとして発表されたが、手塚治虫が雑誌で語っているとおり、その暗さから明るいものばかりの漫画の中で当時の読者に受け入れられにくく不人気であった。内容は手塚得意のバラエティ豊かなドラマ、特に戦争に対する庶民の怒りが語られ、1つの村が隣国同士の争いに巻き込まれて『ばんもん』という壁に分断されてしまう『ばんもんの章』はベルリンの壁板門店に対する強烈な風刺で描かれている。ちなみに対峙した妖怪が何匹目なのか原作で何度か言及がなされているが、これらの数字は連載当時の様々な理由により全体的には必ずしも整合性は取れていない。
本作は漫画としては中途半端な形で終了したが、1969年のアニメ版では漫画で描かれなかった部分も補完され、全ての魔物を倒し完結している。アニメは放映開始初期は原作と同じ『どろろ』だったが、途中から百鬼丸の名もうたったタイトル『どろろと百鬼丸』に変更がなされて放映された。再放送については、全身に欠損を持つある種の障害者と盗賊の孤児が主人公ということで、障害者差別など微妙な問題が多くCS放送の時代劇チャンネルなどを除き地上波では殆どなされていない。モノクロ作品である点も再放送されにくかった理由である。
こうしてかなり不遇な境遇を歩まされた作品であったが、奪われた身体を取り戻すために妖怪と戦いながら冒険するという設定や、義手、義足の中に刀や爆薬等の武器を仕込んだ主人公というアイディアが一部に受け、カルト的なファンを生みもした。『新宿鮫』シリーズでしられる小説家の大沢在昌も「手塚作品の中で最も好きな作品」と語っており〔「解説 大沢在昌」『ブッダ』2巻 潮出版社〈潮漫画文庫〉。〕、漫画家の小林よしのりも「ドロドロと情念が渦巻いていた感じが良かった」と述べている。『魍魎戦記MADARA』の主人公・摩陀羅の生い立ちや設定も、百鬼丸をモチーフにしている〔大塚英志 「第2講 とりあえず「盗作」してみよう」『物語の体操 みるみる小説が書ける6つのレッスン』 朝日新聞社〈朝日文庫〉、2003年4月、51-62頁。〕〔大塚英志 『キャラクター小説の作り方』 角川書店〈角川文庫〉、2006年6月、42, 320頁。〕。
『どろろ』というタイトルは手塚治虫の「友達の子供」が泥棒のことを片言で“どろろう”といったことをヒントにしたと手塚治虫は記している〔「カバー見返しコメント」『どろろ』1巻 秋田書店〈サンデーコミックス〉、1974年。〕。手塚治虫漫画全集のあとがきでは「友だちの子どもが」ではなく「ぼくの子どもが」となっているが〔「あとがき」手塚治虫漫画全集『どろろ』4巻 講談社、1981年。〕、これについて手塚プロダクション公式サイトのコラムで黒沢哲哉は説明が煩雑になるのを避けて簡略化したためだろうと解説している〔「虫ん坊 手塚マンガあの日あの時 第19回:手塚流作品タイトルの付け方(後編) 」 TezukaOsamu.net、2011年11月。〕。「ぼくの子どもが」と述べられている手塚の長男・手塚眞も「(どろろうと言っていたことを自分は)まったく覚えていません〔手塚眞 『父・手塚治虫の素顔』 新潮社〈新潮文庫〉、2012年、98頁。〕」、「僕が言ったのなら父は「子どもが」とは書かず「息子が」と書くと思う。僕が小さい頃うちに泥棒が入ったことがあり、もしかしたらそのときに誰かが「どろろう」と言ったのかも知れないし、あるいはそう言っていなくても父にはそう聞こえたとか。ちゃんと確かめておけばよかったが、今となっては謎のままなのも、それはそれで面白いかなと思っている〔「虫ん坊 手塚マンガあの日あの時 第27回:妖怪ブームの荒波に挑んだ『どろろ』の挑戦!! 」 TezukaOsamu.net、2013年3月。〕」と見解を述べている。
単行本では、掲載された内容に書き直しが行われており、どろろを殺せば百鬼丸が元の身体に戻れるという冒険王の設定も無くなっている。2013年3月に国書刊行会から刊行された手塚治虫トレジャー・ボックスどろろでは、週刊少年サンデー版、冒険王版と5月号付録版、カラーの扉絵やイラスト、週刊少年サンデー1968年2・3号の企画『特別大画報どろろ百鬼』、『特別大画報どろろ妖怪屋敷』、『紅白ものまねまんが合戦』〔手塚を始め、当時「週刊少年サンデー」に漫画を連載中の漫画家8名が「紅組」と「白組」に分かれ、紅組は『どろろ』、白組は『もーれつア太郎』の1頁分パロディを発表する企画。紅組は『ア太郎』の赤塚不二夫を始め、藤子不二雄(現:藤子・F・不二雄。当時『
21エモン』を連載)、つのだじろう板井れんたろう(当時『おらぁグズラだど』を連載)、一方の白組は本作の手塚を始め、川崎のぼる(同『アニマル1』)、園田光慶(同『あかつき戦闘隊』)、九里一平(同『弾丸児』)で構成。〕が、雑誌掲載オリジナルの内容で復刻されて収録された。ただし別冊少年サンデ4月号、6月号、8月号に掲載された4色や2色のカラーページは収録されていない。
『どろろ』について手塚は、手塚治虫漫画全集のあとがきにおいて「水木しげるが描く一連の妖怪もののヒットと、それに続く妖怪ブームにあやかり作り上げたキワモノ」と語っている〔。しかし、この発言について手塚プロダクション公式サイトのコラムで黒沢哲哉は、妖怪マンガの大ブームが巻き起こる最中に後追いでどろろを発表したような印象を受けるが、本格的な妖怪ブームが始まったのは水木しげるのゲゲゲの鬼太郎が1968年1月にアニメ化したことで始まったのに対し、どろろの連載が始まったのは週刊少年サンデー1967年8月27日号で、連載開始が妖怪ブームよりも半年から1年も早かったことを指摘したうえで、ブームを他人よりもいち早くとらえていた手塚の流行アンテナが鋭すぎるゆえに、そのように語ったのではないかと書いている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「どろろ」の詳細全文を読む




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