翻訳と辞書
Words near each other
・ にして置く
・ にしのあきひろ
・ にしの公平
・ にしべみか
・ にしまきとおる
・ にしむくさむらい
・ にしむらえいじ
・ にしむらともこ
・ にしむら珈琲店
・ にしもとひでお
にしゃんた
・ にしゆき
・ にしわき経緯度地球科学館
・ にしん
・ にしんずし
・ にしんそば
・ にしんほう
・ にしん油
・ にしん蕎麦
・ にし茶屋街


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

にしゃんた : ミニ英和和英辞書
にしゃんた
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


にしゃんた : ウィキペディア日本語版
にしゃんた

にしゃんた1969年7月18日 - )は、社会学者タレント羽衣国際大学現代社会学部教授。学位は博士(経済学)。専門は、スリランカ全般。アジア、多様性の活用による人づくり・組織づくり・社会づくり。講演家落語家〔社会人落語家として活動している。〕としても活動、京都府名誉友好大使、特定非営利活動法人多民族共生人権教育センター理事も務めている。セイロン(現スリランカキャンディで生まれる。本名はジャヤシンハ・アーラッチラーゲー・トシタ・デーワップリヤ・ニシャンタ(Jayasinghe Arachilage Thusithe Devapriya Nishantha)。夜に生まれたこととの関連で、「にしゃんた」とは自身の母語のシンハラ語で「静夜(英語で言うSilent night)」を意味する。
== 人物 ==
親日家で、2005年に日本国籍を取得した。平仮名で「にしゃんた」と自称する。もっとも大切にしている言葉が、セレンディピティ(英語:serendipity)である。「予期せぬ素敵な発見・出会い」の意味で使われる〔この言葉はかつての自身の母国の国名であったセイロン島の語源であるとも言われている。〕。
「多様性を語る人」を意味する「ダイバーシティー・スピーカー」 を名乗り、あらゆる違いや変化〔性・年齢・障害の有無・民族・国籍・宗教・地域等などに限らず一人一人の違いや自然界の違いなど〕を楽しみ、学び、力にする利点や喜び、また多様性の包括•社会参画 (Inclusion & social participation of Diversity) の必要性についてを語る。「民際」、「全員力」、「包み込む社会」や「共笑」などの言葉を用いる。あわせて外国出身者としての視点から見た多くの日本の魅力を紹介している。多様性(多文化共生、ダイバーシティー)を自身の生涯のテーマとして位置づけ、訴えることになった最も大きな理由は、多様性を軽視された結果として引き起こされた母国のスリランカ内戦である。25年以上にわたった戦争で多数の学友を含む若人を死なせた辛い経験を有する。
多才である。読売新聞にて「七つの顔の男」として紹介された。七つの顔とはスリランカ人, タレント,大学教授,落語家,空手家,子育て父と新聞奨学生である〔http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2013/06/post-ed90.html〕。バラエティーをこなす顔も持ち合せている。2008年に、近未来(2050年代)の日本(京都)の国際化を題材にした映画『地球のヘソ』で主演俳優デビューし、同年にワッハ上方の「落とし頃なお年頃 芸能界落語部」で高座デビューした
〔演目は『時うどん』。この企画では、桂春蝶原田伸郎立原啓裕 らと共演しており、にしゃんたがトリを務めた(順番はジャンケンで決まった)。この時、初めての舞台にして誰よりも笑いが多く、あまりにもウケが良かったので、本人は「自分に才能がある、いける」と勘違いして、落語を継続することを決めた(「日本で知った『幸せ』の値段」参照)。さらに同年R-1ぐらんぷりにも出ており、初めてにして3回戦進出を果した。そのことがきっかけになり『笑っていいとも!』などのメディアを賑わす。持ちネタには、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」の替え歌の「ジェロでもねぇ、オバマでもネェ、どれにもそれほどに似ていねぇ…」などがある〕。翌年(2009年)には社会人落語初代日本一決定戦で全国362名の中から準優勝を果たす。大会審査委員長であった、桂三枝(現・桂文枝)に「あのマクラにはかてまへんな」と言わしめた。また、三枝が、自身のブログ上でも「社会人落語日本一は、あやうくスリランカ人が日本一になりそうでした。残念ながらよく受けたのですが持ち時間をオーバーして、減点となりました。なかなかよくやるスリランカ人で落語も外国人に脅かされてきました。」と紹介している〔席亭桂三枝の落語的日常 2009年8月16日 社会人落語日本一決定戦において、大会開催以来3連続決勝戦に選ばれている。〕。この大会は本人が全国ネットのテレビに露出する大きなきっかけにもなった〔ペケ×ポン川柳などはその代表的な番組で、落語大会の際と同じ黄色い着物で毎回登場している。褐色に黄色い着物がトレードマークと化している。〕。また、上方落語にとどまらず、三遊亭好楽にも認められ、教えを受けている〔関西での生活が長いにしゃんたにとって上方落語が覚えやすいが、敬意を表し好楽から教わったネタを江戸弁でかけている。枕までが関西弁なのに、ネタに入り次第、江戸弁に切り替わることが観客に驚かれるときがある。〕。母国を離れて世界で活躍している人物をドキュメントするNHKの国際放送NHKワールドの番組『A is AsiA』の第1回目の放送(2009年)で落語家としての活躍を紹介される。
社会人落語初代日本一決定戦をきっかけに自身の志を表現する手段としても落語に力を入れはじめ、社会人落語家として本格的に全国行脚する。それまで行っていた講演活動に落語を組み合わせたり、「スタンドアップ落語」という新スタイルにも挑戦している〔講演(+落語)の代表的なテーマは、「ちがいを楽しみ、力にかえる〜多文化共生“新”時代〜」や「違う人との出会いは学びと成長のパスポート」などである〕。講演会の講師として人気があり、年間(2009年の時点で)100超える講演を行っている。学問的な背景に支えられた見聞を解りやすく、身近な事例を取り上げて楽しく語りかける。口調は落語調で、数分に一回笑わせる巧みな話術と愛嬌でみなさんのこころを掴み、最後に全員をファンになると評される〔http://blog.sbrain.co.jp/company/2010/10/post-139.html〕。茶目っ気たっぷりの明るいキャラクター。関西を中心に人気に火がつき、全国へ広がった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「にしゃんた」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.