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ねこぢる(本名:橋口 千代美:旧姓は中山、1967年1月19日 - 1998年5月10日)は、日本の女性漫画家。夫は同じく漫画家の山野一。 1990年『月刊漫画ガロ』誌6月号掲載の『ねこぢるうどん』でデビュー。1998年5月10日、東京都町田市の自宅で自殺。。 == 経歴 == 埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(現:川口市)出身。埼玉県鳩ヶ谷市の東鳩ヶ谷団地で育つ。美容専門学校を卒業後、18歳の時に漫画雑誌『ガロ』に掲載されていた山野一の漫画を読み感銘を受け、押しかけ女房のような形で山野と結婚した。 もともと漫画家になるつもりは全く無かったが、山野に「漫画を手伝いたい」と述べ、チラシの裏などに漫画のようなものを描き始める。この時にねこぢるが描いた「奇妙なタコのようなネコの絵」に対して山野は「言語化不可能なある種の違和感かもしれないけど、大人に解釈されたものではない生々しい幼児性というか、かわいさと気持ち悪さと残虐性が入り交じった奇妙な魅力」〔ねこぢる『ねこぢる大全』(文藝春秋刊)下巻・巻末「対談 根本敬×山野一」より。〕を感じ、その絵をモチーフに山野はねこぢるの協力のもと漫画を創作、この漫画は『月刊漫画ガロ』1990年6月号に『ねこぢるうどん』として掲載され、ねこぢるは予期しない形で漫画家デビューを果たす事になった。この連作の元にもなったデビュー作は、子猫がうどん屋で去勢されて死ぬというだけの内容である。 このデビュー作から夫の山野は「山野一+ねこぢるし」の共同名義でクレジットされるようになり、山野は「唯一の共同創作者」としての役割を務めることになった。二人には「極めて微妙」な役割分担があり、ねこぢるの発想やメモを山野がネームにして「読める漫画」に再構成する役割などを担った(山野はこの作業を「翻訳」と述べている)。これらの連作は、ねこぢる自身の夢の中の体験を基にした不条理な展開やドラッグ中毒のように支離滅裂でサイケデリックな描写が特徴的である。 しかし、可愛らしくデフォルメされた絵柄とは裏腹にシュールを通り越して最早狂気の域に達している無邪気で残酷なストーリーとのギャップに若年層の支持も集め、一躍ねこぢるムーブメントが起こる。 山野もねこぢるも仕事は何でも引き受ける建前であったため人気漫画家となってしまったねこぢるは仕事の依頼を断ることなく、作品の量産を強いられ、山野と共に寝る間もなく漫画を描き続けた。一方で医師から鬱病の診断を受け、精神科に通院するなど次第に精神が不安定となり、多忙のあまり錯乱して山野をカッターで切りつける事件を起こしたり、自殺未遂を繰り返すなど奇行が目立つようになる。また、何度も「死は別に恐くない」と友人に述べ、編集者にも「死のうと思ったことありますか?」と尋ねた事もあったという。 1998年5月5日夜、担当編集者に電話で「もう漫画を描くのは疲れた」「もう漫画家をやめて夫と一緒に発展途上国に行って暮らしたい」と漏らす。5月8日に遺稿『ガラス窓』を書きあげたのち、5月10日に東京都町田市の自宅マンションで首吊り自殺を遂げる。。 ねこぢるの自殺について夫の山野一は、「いろんな側面から考えはしましたが、多分何年考えても分からないことには変わらないでしょう。もう分からない大きな塊を背負っている感じですかね、とても整理できないみたいな。もしこの場のどこかにねこぢるが居るとしたら、なに言ってるのって言われそうな気がいつもするんですよね。バカじゃないのって…」とコメントしている。 その後も山野は「ねこぢるy」のペンネームで、ねこぢるワールドを引き継いで創作を続けている。ねこぢるの死後制作されたOVA『ねこぢる草』は、『ねこぢるうどん』の各編のシチュエーションをモチーフにした幻想的な作品に仕上がっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ねこぢる」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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