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能登線(のとせん)は、かつて石川県鳳珠郡穴水町の穴水駅と石川県珠洲市の蛸島駅を結び、のと鉄道が運営していた鉄道路線である。 == 概要 == 能登半島の北部、奥能登の南岸を走っていた路線である。1959年に国鉄能登線として開業したが、過疎地域に建設された上に、開業当時には既に自家用車が普及しつつあったため、乗降客は数年増加したのち減少を始め〔寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』、JTBパブリッシング、2008年、150頁。ISBN 978-4-533-07145-4〕、1968年には早くも赤字83線に名を連ねている。その後、奥能登観光ブームにより一時的に盛り返すも、沿線道路網の発達などにより乗客減に拍車がかかった〔川島令三『全国鉄道事情大研究 北陸編(1)』、相思社、1995年、208頁。ISBN 4-7942-0616-X〕。 国鉄再建法により全国の不採算路線を廃止する方針が示される中、沿線自治体の存続活動もむなしく、能登線は1985年に第3次特定地方交通線(以下・第3次指定)候補に選定され、国鉄の路線として廃止となる可能性が高まった。これを受け石川県は、「能登振興のために鉄道は必要」として、第三セクター鉄道としての存続に意欲を示し、共に三セク化によって第3次指定路線の存続を企図していた高知県・愛知県(それぞれ土佐くろしお鉄道・愛知環状鉄道を設立)とともに能登線の早期の第3次指定を国に求め、その結果1986年5月末に第3次指定に先行承認されることとなった〔寺田裕一『日本のローカル私鉄2000』、ネコ・パブリッシング、2000年。ISBN 4-87366-207-9〕。こうして1987年に第三セクター「のと鉄道」が設立され、1988年にのと穴水駅(現・穴水駅) - 蛸島駅間が「のと鉄道能登線」として開業した。 転換後に列車のフリークエンシーを向上させた結果、収支はほぼ均衡を保ち、転換交付金を積み立てた基金で営業損失を補填した結果、のと鉄道は開業後3年間黒字を計上した〔所澤秀樹『鉄道地図の「謎」』、山海堂、2002年、222頁。ISBN 4-381-10423-4〕。しかし、のと鉄道が七尾線の経営を引き受けた頃からのと鉄道の赤字額が目に見えて増大し始め、同時に能登線の乗客も減少していった。2004年3月23日ののと鉄道の取締役会で能登線の廃止が決議され〔、2005年4月1日付で廃止に至った。廃止後は能登中央バス・奥能登観光開発の2社(現在は統合されて北鉄奥能登バスに一本化)による路線バス(代替バス)に転換された。 乗客の平均乗車距離は13.9km〔2002年度のデータ。『私鉄の廃線跡を歩くIII』150頁より。〕と長く、通学客への影響は大きかった。珠洲市内から列車で石川県立七尾高等学校に通っていた学生は下宿を余儀なくされ、珠洲市内の高校へ向かう学生も混雑の激しいバスでの通学を強いられているという〔『私鉄の廃線跡を歩くIII』、154頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「のと鉄道能登線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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