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のばせ山口 : ミニ英和和英辞書
のばせ山口[くち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 

のばせ山口 ( リダイレクト:山口県民の歌 ) : ウィキペディア日本語版
山口県民の歌[やまぐちけんみんのうた]

山口県民の歌」(やまぐちけんみんのうた)は、日本都道府県の一つ、山口県が制定した県民歌である。以下の2代3曲が存在する。
# 作詞・岩本邦子、作曲・大村能章
# 作詞・清川妙、作曲・大村能章。
# 作詞・佐藤春夫、作曲・信時潔
現在の県民歌は3.である。1.と2.は1951年昭和26年)に2代目「山口県民の歌」として2曲同時に制定され、1962年(昭和37年)に3代(4曲)目となる3.の制定を受けて廃止された。
== 現行「山口県民の歌」 ==

山口県の初代県民歌は「山口県民歌」の表題で1940年昭和15年)に制定されたが、1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結後は演奏が控えられるようになった。その後、1951年(昭和26年)に後述の2代目「山口県民の歌」が2曲同時に制定されたが、1962年(昭和37年)9月3日に県成立90周年および〔中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌 』(東京堂出版2012年) ISBN 978-4-490-20803-0 、348ページ。〕、翌1963年(昭和38年)開催の第18回山口国体に合わせて通算3代目となる現行の「山口県民の歌」が制定された〔国民文化協会『事典 シンボルと公式制度 日本篇』(国際図書、1968年)、225ページ。〕。同日には県旗・県章も制定されている。
上記の通り、この「山口県民の歌」は初代「山口県民歌」から数えて3代(4曲)目となるが県では「山口県民の歌」の制定動機について「それまで県民歌が無かった」として、この「県民の歌」が初代であるとの認識をサンデー山口の取材に対して回答しており、制定の時点で実質廃止状態であった旧「山口県民歌」や先代の「山口県民の歌」2曲は存在自体が無かったものとして扱われている。全国の都道府県において3代にわたる県民歌の代替わりを繰り返したのは群馬県(表題は3代とも「群馬県の歌」)と山口県の2県のみである。
作詞・作曲は公募でなく前年県庁所在地である山口市の初代市歌2005年廃止)を作詞・作曲した佐藤春夫と信時潔に対して依頼されたが、資料が残っておらず制定経緯の詳細は不明となっている〔。1965年(昭和40年)には三鷹淳宇部市出身)と眞理ヨシコの歌唱により日本コロムビアからレコードが発売された。B面曲の「のばせ山口」は片山正見が作曲した行進曲風の愛唱歌で、当時の橋本正之知事が自ら作詞を行っている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山口県民の歌」の詳細全文を読む




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