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古内 東子(ふるうち とうこ、1972年11月1日 - )は、日本の歌手・シンガーソングライター・ラジオDJ。東京都練馬区出身。血液型O型。 == 概説 == 音楽好きな両親の影響で、少女時代からピアノを習った。跡見学園中学高等学校在学中にアメリカ・コネチカット州の高校に1年間留学した。その後、上智大学比較文化学部(現在の国際教養学部)在学中のデビュー前には姉が作詞、古内がピアノで作曲を担当していた。 古内は姉と共同作品であるデモテープを姉に内緒で持ちこんで、ソニー・ミュージックのディレクターで音楽プロデューサーでもある遠藤亮に見込まれて、1993年2月にテビューした〔本人著『会えないときこそきれいでいよう』および『恋愛日和 - わたしと彼がいる21の風景 -』より。〕。その後、仕事が忙しくなり、1997年に大学を中退した〔『恋する舌』より。〕。彼女は海外レコーディングの際に、アメリカ人のミュージシャンに歌詞の意味を伝えることができるほど、英語(アメリカ英語)が堪能である。 1995年9月21日にリリースされた『Strength』は、古内にとって初の海外のレコーディングであり、アメリカのミュージシャンと共同制作をしたアルバムであった。翌1996年6月21日にリリースされた『Hourglass』はロサンゼルスでレコーディングされた。以降も、アメリカや東京などでレコーディングしたアルバムをリリースしている。 彼女の作品が好調にヒットし、恋愛を主題にした曲のスタイルから、「恋愛の神様、教祖」などと称えられ、松任谷由実に次ぐ逸材、といった評価も受けた。2004年から観客との距離が近い会場で弾き語りライブコンサートを定例化している。これについて本人は『ライブの頻度をあげて「ライブをやるの?」って聞かれたら、「あぁ、来月やるよ」って常に言えるような人になりたい、また小さなホールの方が言葉を観客によりダイレクトに伝えることが出来る』とライブスタイル選択の理由を述べている。小会場ではピアノの弾き語りにベース、ギター、エレピ、パーカッションなどのサポートメンバーを1〜2名加えた編成で演奏している。 彼女自身が経験した恋愛の歌のみを歌うことが最大の売りであり、主に同世代の女性に支持されている。恋について歌えなくなったら歌手をやめると言っている。古内作品では、男性の視点からの曲もあるが少なく(『逢いたいから』『10%』『僕の宇宙』『笑顔』、CHEMISTRYの『合鍵』など)、男性の視点を意識して歌詞を書くわけではないという。 2013年にテレビの取材を受けた際、今後作りたい曲の展望を聞かれると、「これからもお客さん一人ひとりにどう伝えるかにこだわって歌いたい」と語った。 洋楽のカヴァーにも熱心である。洋楽カヴァーアルバム『CRAZY FOR YOU』をリリースした(2001年)が、2007年のライブでは「やっぱり洋楽のカヴァーは私には合わない」と語り、西城秀樹の『眠れぬ夜』(オリジナルはオフコース)と松任谷由実の『NIGHT WALKER』をカヴァーした〔2007年3月17日 東京都千代田区丸の内 コットンクラブ 〕。 フランス人の女性歌手NATHALIE(ナタリエ)による古内作品のカヴァー・アルバム『宝物〜古内東子フレンチ・コレクション』がリリースされている。 2005年に3ヶ月間ニューヨークに滞在したことがあり、滞在期間中に同所で矢野顕子のライブを鑑賞、以来いつか自分もここでライブをしてみたいと思っていたと語っている〔。2009年1月21日、2010年9月21日の2度に渡り、アメリカのニューヨークにあるJoe's Pubで弾き語りライブを行った。 2012年10月29日付けの自身のオフィシャルブログで一般男性との入籍を発表した。 2014年9月13日、東京国際フォーラムで行われたライブのステージ上で、それに引き続き同日のオフィシャルブログで 第一子の妊娠を発表した〔IN ラブログ・AGAIN ご報告 〕。 2014年12月28日付けの自身のオフィシャルブログで第一子男児の出産を発表した〔IN ラブログ・AGAIN ご報告 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古内東子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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