翻訳と辞書
Words near each other
・ ふたりずむ
・ ふたりだけの地図
・ ふたりだけの愛の体験
・ ふたりだけの窓
・ ふたりっ子
・ ふたりでいいじゃない
・ ふたりでひとつの恋心
・ ふたりでタンゴを
・ ふたりで半分こ
・ ふたりで歩こう
ふたりで生きている
・ ふたりで話そう 幹事長・書記長
・ ふたりと5人
・ ふたりにクギづけ
・ ふたりの5つの分かれ路
・ ふたりのMoon River
・ ふたりのあいだ
・ ふたりのお嬢様!!
・ ふたりのきもちのほんとのひみつ
・ ふたりのぜのぴったん


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ふたりで生きている : ミニ英和和英辞書
ふたりで生きている[いきて]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
生き : [いき]
 【名詞】 1. freshness 2. stet 

ふたりで生きている ( リダイレクト:The Best Year of My Life ) : ウィキペディア日本語版
The Best Year of My Life[ざ べすと いやー おぶ まい らいふ]

The Best Year of My Life』(ザ・ベスト・イヤー・オブ・マイ・ライフ)は、1984年6月21日に発売されたオフコース通算11作目のオリジナルアルバム
== 解説 ==
1982年、長年のパートナーであった鈴木康博を失った小田和正は音楽に関する活動再開のイメージをまったく持てず、今後人前で歌を歌うのかさえわからなかったが、清水仁からの「それなら4人でオフコースをやればいい」という助言を受け、「オフコースというバンドがなくなってもやっていけるように一人一人が力をつけるために」3年だけ活動を続けることを決め、お互いの意思を確認した小田・清水・大間ジロー松尾一彦の4名は84年初頭からアルバムのレコーディングを開始する。アルバム・タイトルはこれからの一年一年が去年より良い、自分にとっての“ベスト・イヤー”でありたいという願いからつけられた。サブタイトルに“Green Album”とあるのは当初、同じタイトルで2枚アルバムをリリースして最初は若葉のイメージのグリーンで、数年後に秋色のブラウンの“ベスト・イヤー”をリリースして、その数年間で自分達の“ベスト・イヤー”を更新したことを証明しようという発想でつけたと、小田は後のインタビューで答えている。
レコーディングについて、ミキサーとして参加した木村史郎によれば「去年(1983年)の秋ぐらいから、事務所のスタジオでデモテープ録りやら、ベースメント作りなんかをしていて、このときはメンバーだけで録っていて、僕は時間があれば顔を出してたけどね。それで本格的にスタジオに入って録り始めたのは、今年に入ってからかな?」「出来上がって聴いてみると、やっぱり今までとは変わったんじゃないかと思いますよ。音的に硬質になったとかそういうんじゃなくて、全体的に、男っぽくなったというか……そういう印象がすごくあります。まぁ、変わるんじゃないかなぁっていう予想はしてたんだけど、どんな風に変わるかはまったくわからなかったし…。今、全部終わって改めて聴いてみると、以前の感じの曲もあるけれど、やっぱり変わったかな? って思う」「ただ、デモテープ録りをしていたときから“みんなをウラギってやろう”ってことは、ある程度考えてたんじゃないかと思うんですよ。『バシッとしよう、バシッと!』なんてよく言ってたから」〔『OFF COURSE BOOK』Summer'84 No.1 〕という。
また、これまでのアルバムとの違いについては「今回はボーカル録りでもいろいろと実験をしてみたんですよ。いままでだとマイクを近づけて歌う“オン・マイク”っていう方法が多かったんだけど、今回はマイクをちょっと離してみたりとか、マイクを2本立ててみたりとかそんな方法にもトライしてみた。だから、そんなところからも。今までの感じとは違うっていうのと関係しているんじゃないかな」〔とも語っていた。
当初、清水のボーカル録りも行われたのだという。それについて木村は「実は、今回仁さんもボーカルに挑戦したんですよ。松尾君の曲だったんだけどね、(大間)ジローだったかなぁ『仁さんに歌わせたら?』なんて言いだして、仁さんが歌うことになって。だけど何10回、何100回トライしても思うようにいかなくて……。ちょっとキーが高かったのかな、すごい歌いにくかったみたいで、最終的に断念。結局、松尾君にバトンタッチしちゃった。彼の書く曲はほかの人が歌うと難しいみたい」〔と答えている。
木村によれば今作のレコーディング時間は500時間以上を越えているのではないかという。その理由を「最後の最後まで本人が気に入らなくて、やり直した曲もあったからね」「その曲は、もう楽器も全部入ってたんだけど小田さんが『なんか気持ち悪い』って言うんでね。ほかのメンバーも『リズムパターンが違うみたい』なんて言いだして、最後の最後まで揉めに揉めた曲でしたね。ロスへ行っても2回ミックスし直したんですよ」とし、全体を振り返って「こうやって見ると、オフコースってやっぱりバンドなんだなぁって感じますね。もしひとりがとびぬけて頭領みたいな存在がいるパターンだったら、そういうコミュニケーションはないしね。みんなが同じレベルで言い合える発言権をもってなくちゃ、成立しませんよね」〔と語っている。
この当時、曲における映像の重要性を意識していた彼らはシングルカットされた「君が、嘘を、ついた」、「夏の日」、「緑の日々」の3本のミュージック・クリップを制作、特に「夏の日」と「緑の日々」の2本は自ら脚本・演出・監督を手がけた〔『Movie The Best Year of My Life』として商品化。〕〔「君が、嘘を、ついた」は外部スタッフによって制作されたが、メンバーが仕上がりに満足できなかったため収録されず、フジテレビオレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」にてメンバー出演によるプロモーションビデオ・プレミアム鑑賞会で放送されたのみ。現在では、メンバー自らが再編集したテイクがDVD『Off Course 1969-1989 Digital dictionary』 (2001年9月26日発売 HANDS ON ENTERTAINMENT DVD:ORDX-1007) に収録。〕。
B-5「ふたりで生きている」は後年、ドラマスペシャル『やまない雨はない』〔テレビ朝日系列、2010年3月6日放送。〕主題歌に使用された。
ジャケット写真とCM等に使用されたVTRは4月26日茨城県阿見町阿見飛行場の滑走路中央、レコード内袋の老人物写真は4月20日に世田谷の洋館にて、それぞれ撮影された。
1982年12月末をもって東芝EMIとの契約を満了した彼らは当時所属していた新田和長が部長を務める「第二制作部」が独立後に設立した新会社「ファンハウス」に移籍、以後解散する1989年までの間に制作されたメンバーのソロを含むオフコースのアルバムおよびシングルは同社よりリリースされた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「The Best Year of My Life」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.