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まぐさ戦争(〔英語の"forage"には「まぐさ」以外に「略奪」、「食料探し」の意味がある〕)は、アメリカ独立戦争中の1777年1月から3月に掛けて、ニュージャージーで起きた数多い小戦闘からなるゲリラ戦である。トレントンの戦いとプリンストンの戦い後、イギリス軍も大陸軍も1月早々に冬の宿営に入ったが、大陸軍の正規兵とニュージャージーとペンシルベニアの民兵隊が、ニュージャージーに駐屯するイギリス軍とドイツ人傭兵の部隊に多くの偵察行動とゲリラ戦を行った。 イギリス軍は新鮮な糧食を欲しており、さらにその馬や荷車用の家畜のために新鮮なまぐさが必要だった。大陸軍のジョージ・ワシントン将軍はイギリス軍が容易に近づけるような地域からそのような物資を体系的に移動させることを命令し、アメリカ側の民兵や正規兵が物資を略奪しようというイギリス兵やドイツ人傭兵にゲリラ攻撃を仕掛けた。これら作戦の規模は小さかったが、ある場合には極めて念入りであり、1,000名以上の兵士が参加することもあった。大陸軍の作戦が成功し、ニュージャージーにおけるイギリス側の損失はトレントンとプリンストンの戦いでの損失を含めると、ニューヨークでの損失を上回るようになった。 == 背景 == 1776年8月、イギリス軍はジョージ・ワシントンの大陸軍が守るニューヨーク市を制圧するための作戦を開始した。その後の2ヶ月間で、ウィリアム・ハウ将軍は迅速にニューヨーク市を占領し、ワシントン軍をニュージャージーに追い出した〔Ketchum, pp. 101–159〕。その後さらにフィラデルフィアに向けてワシントン軍を南に追った。ワシントンはデラウェア川を越えてペンシルベニアに退却し、川の流域に沿って渡るために使える船を全て確保した〔Ketchum, pp. 160–241〕。その後ハウは軍隊に冬季宿営に入ることを命じ、ニュージャージー中、ハドソン川からニューブランズウィックを経て、デラウェア川沿いのトレントンやボーデンタウンまで一連の前進基地を作らせた。イギリス兵とドイツ人傭兵の部隊がニュージャージーを占領していることは地元社会との間に摩擦を生じさせ、パトリオット民兵の入隊決起に繋がった。12月半ばには既にこれら民兵の中隊がギアリーの待ち伏せなどイギリス軍偵察部隊に対するゲリラ戦を始めていた。ギアリーの待ち伏せでは竜騎兵の指揮官が戦死しており、イギリス兵とドイツ人傭兵の宿営には緊張感が増していた〔Fischer, pp. 184–199〕。 1776年クリスマスの夜、ワシントン軍はデラウェア川を越え、翌朝トレントンの前進基地を急襲した。その後の2週間でアッサンピンククリークとプリンストンで2回の戦闘を行い、イギリス軍をニュージャージー北部まで後退させた〔Ketchum, pp. 293–379〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「まぐさ戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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