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『クレヨンしんちゃん』(Crayon Shinchan)は、臼井儀人による日本の漫画作品。1990年に『漫画アクション』で連載を開始し、2000年に『まんがタウン』に移籍するが、臼井の死去のため2010年に連載終了。同年からアシスタントらにより『新クレヨンしんちゃん』のタイトルで連載を再開している。 1992年にテレビ朝日がアニメ化し、1993年からは毎年アニメ映画が制作されている。通称「しんちゃん」〔キムタクがしんちゃんになっちゃった「ブリブリ~」 日刊スポーツ〕「クレしん」〔過去最高興収を記録した『クレしん』『コナン』、マンネリにならない秘訣は? ORICON STYLE〕。 == 概要 == 生意気でいたずら好きな5歳の幼稚園児、野原しんのすけを主人公として、両親をはじめとする周囲の大人たちが、主人公の巻き起こす騒動に振り回される〔〔日常を描いたギャグ漫画作品。 1990年夏に双葉社『漫画アクション』で連載開始。現在は『まんがタウン』(双葉社)で連載中。過去には『まんがタウンオリジナル』(『まんがタウン』と統合され、廃刊)、『JOURすてきな主婦たち』にも連載。アニメはテレビ朝日で1992年4月13日より放送されており、現在も放送中〔2010年に20周年を謳った特別番組がよく放映されているが、放送が20周年を迎えるのは2012年なので、実際は連載20周年ということになる。〕。日本国外でも翻訳出版・アニメ放送・映画公開がされている。1992年4月11日(アニメが放送開始する2日前)に単行本1巻を発売し、翌年の3月に発行部数が1000万を突破し、2011年5月の時点では5300万部、関連書籍を含めると6500万部を発行〔〔し、双葉社の書籍としては最大の発行部数である。世界20数カ国で累計1億900万部を売り上げている。2012年4月、テレビアニメ放送開始20周年を迎え長寿番組の仲間入りとなった。現在はテレビ朝日系列金曜午後7時から放送の『ドラえもん』と午後7時半から放送の本作はともに国民的な認知度を誇り、国民的アニメと認識されることも多い。 元々は臼井儀人のデビュー作「だらくやストア物語」を連載している際、当時の編集者林克之が二階堂信之介に目につき「一つの漫画として独立させましょう」と臼井に提案した。二階堂信之介の破天荒な子供時代を描き、「だらくやストア物語」のスピンオフとして始めた作品が「クレヨンしんちゃん」である。また、野原しんのすけの名前は二階堂信之介が由来である。連載当初は特に反響はなく、打ち切りの危機もあったが、1992年4月からアニメが放送が開始した影響で人気が上がり書店では大人の他にも小学生当たりの子供が単行本を購入するといったように大人向けの漫画としては珍しい光景もあった。 テレビアニメの放送に伴い本作は賛否両論を呼ぶことになった。主人公の生意気な言動が子供たちにも受け〔〔、子供に真似されることが問題視され〔、アニメは日本PTA全国協議会の行ったアンケートなどで批判の対象となるに至った〔(詳細は「クレヨンしんちゃん (アニメ)」を参照)。 アニメの影響で子供向け漫画というイメージが強いが、本作は連載開始より一貫して青年漫画誌およびレディースコミックで連載されていることから青年漫画のジャンルに位置づけられる。青年向け漫画として描かれた本作が、テレビアニメを通して幅広い人気を集めたことについて、漫画評論家村上知彦は「大人の建前のナンセンスさを浮き彫りにする面白さや、主人公の可愛らしさと本音をズバリと言う爽やかさが、青年誌の読者だけでなく子供や若い女性にも受け入れられた」のだと解説している〔。 2009年9月に原作者の臼井が事故で急死し(''詳細は「臼井儀人」を参照'')、本作は絶筆作品となったが、原稿には臼井の死後に発見された遺稿を含めて幾らかのストックがあり〔〔『まんがタウン』2009年12月号〕、連載は2010年2月発売の『まんがタウン』2010年3月号まで続けられた(第1126話が最終回)〔。また、2009年末に、2010年夏を目標に別の作家による新連載の準備を行っている事も発表され〔クレヨンしんちゃん新連載始まるぞぉー デイリースポーツ、2009-12-01 閲覧。〕、2010年6月号より8月号まで「クレヨンしんちゃんメモリアル」として過去作のより抜き再掲の後に8月5日発売の9月号より、臼井の元スタッフによる新連載『新クレヨンしんちゃん』が始まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クレヨンしんちゃん」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Crayon Shin-chan 」があります。 スポンサード リンク
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