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まんだらけは、漫画専門の古書店及びそれを運営する会社、または同社が発行していた冊子の名称。会社としての商号は株式会社まんだらけ()。 == 沿革 == 1980年(昭和55年)(『まんだらけ風雲録』によると1982年(昭和57年))、ガロ等に執筆していた漫画家・古川益三が、東京都中野区にある中野ブロードウェイに漫画専門の古書店「まんだらけ」を開店した。前身は調布市にあった貸本屋(後に漫画専門古書店)「憂都離夜」。 相場が確立していなかった漫画本に対し、希少価値を考慮した価格設定を行い、古書としての取引相場の基準を作った。また、マニアの間でも現存が疑われていた足塚不二雄の『UTOPIA 最後の世界大戦』を発掘し、100万円という値段(当時は手塚漫画でも高くて20万から25万円程度)を付けた事で話題となった〔「まんだらけ風雲録」より。ちなみにこの『最後の世界大戦』は1980年(昭和55年)8月24日未明に万引きされ、行方不明になった。当日は大混雑だったらしく、閉店する際に古川がショーケースを見るまでなくなっていることに気づかなかったという。「漫画の手帖」2号(漫画の手帖事務局、80年)3ページ参考。〕。 漫画専門店として有名になった事で、古川は後に「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京)に鑑定士として出演するようになった。しかし、すがやみつるの原稿を石ノ森章太郎の原稿と間違えるなど、鑑定眼に関しては疑問視する声もある。 1987年(昭和62年)には株式会社まんだらけを設立、会社組織として運営されるようになる。初代の社長は古川の父親で、古川は後に二代目社長となった。 中野ブロードウェイ内で店舗を増やし、中野ブロードウェイを日本屈指のおたくビルへと変貌させるきっかけを作った。やがて、漫画だけではなくアニメやゲーム等に関する音楽・映像ソフトや各種おもちゃ、アニメグッズ、同人誌、コスプレ衣装など、あらゆるジャンルのマニア・おたく向け商品を扱うようになった。また、通販用に写真目録「まんだらけ漫画目録」(後の「まんだらけ」「まんだらけZENBU」)を作成、古本漫画取引相場の基準となった。 1994年(平成6年)には渋谷店を開店させ、以後各地に店舗を拡大させた。各店舗には何らかのコスプレをした店員を常時配置させたことでも話題となった。1999年(平成11年)にはアメリカ・ロサンゼルスに進出、これを皮切りに海外各地に店舗を出すまでに至ったが、その後海外店舗は全て閉店している(海外向けにはインターネット通信販売を行っている)。 1995年(平成7年)には出版部を設立、「まんだらけ漫画目録」の発行を始めた。その後、出版部では古川の同人誌や通販目録を兼ねた冊子「まんだらけZENBU」、漫画家の画集、復刻版コミック等を編集・発行している。 2000年(平成12年)7月26日、マザーズに上場。公募価格125万円に対し、93万円で売り気配、取引が成立せず権利落ちとなったが、現在では「萌え関連銘柄」として認知されている。 2001年(平成13年)2月1日にストリーミング配信の研究開発会社である(株)アクティビジョンと資本提携し、映像配信事業を共同展開する予定だったが、後に資本を引き上げ、自社でインターネットテレビMandarayを開設した。 2008年(平成20年)4月5日、自社ビル「まんだらけコンプレックス(新秋葉原店)」オープン。 2015年(平成27年)2月1日、上場市場が東京証券取引所第二部に変更された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「まんだらけ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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