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『みな殺しの霊歌』(みなごろしのれいか)は、1968年(昭和43年)4月13日公開の日本映画である。加藤泰監督、松竹(大船撮影所)製作・配給。白黒映画、シネマスコープ、7巻 / 2,477メートル(1時間31分)。 == 概要 == 加藤泰監督による犯罪映画。長年、東映で時代劇や任侠映画を手掛けてきた加藤泰が、安藤昇主演『男の顔は履歴書』(1966年)に続いて松竹大船撮影所で製作した2本目の松竹映画である(両作品の間に独立系のゴールデン・プロで製作され松竹が配給した『阿片台地 地獄部隊突撃せよ』(1966年)を加えれば3本目)。 逃亡中の殺人犯が、唯一心を通わせた少年を輪姦して死に追いやった5人の女に復讐をする物語である。オリジナル・ストーリーだが、キネマ旬報社・刊『世界の映画作家』第14巻所収の水野和夫(水野晴郎)によるインタビューにおいて、加藤泰は、本作品が「野村芳太郎監督による『五瓣の椿』のヒットに気を良くした松竹から、『五瓣の椿』の現代版をやってくれと依頼を受けた」企画であると証言している〔『加藤泰・自伝と自作を語る』、世界の映画作家 14、p.86.〕。『五瓣の椿』の復讐する側と復讐される側の性別を逆転させたストーリーは、加藤によれば「一つまちがえば大変な映画になってしまう(中略)危険なもの」を持った素材であり、完成した映画自体も女性による未成年男性のレイプや同性愛、差別問題などさまざまなきわどい要素が散りばめられていることが認められる。しかし、加藤はその要素を抹消するのではなく、逆にうまく映画に溶け込ませようと試みた。構成というポジションで山田洋次に共作を依頼したのもその試みを実現するためだったという〔『加藤泰・自伝と自作を語る』、世界の映画作家 14、p.86-87.〕。加藤は、山田を起用したことについて「まったく異質なものをもった山田さんだからブレーキをかけないと思ったんです(このジャンルを知りつくした脚本家の場合、きわどい要素に恐れをなして逆にその要素を積極的に排除するだろうという意味と思われる)。ひょっとしたらふくらましてくれるようなブレーキ、それをきっと山田さんならかけてくれるのではないか」という期待があったと語っている〔。ちなみに加藤と山田の共同作業は山田監督作品『馬鹿まるだし』(1964年)が最初だが、山田は助監督時代に加藤の『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』(1958年)を観て感激し、加藤にファンレターを出している〔『加藤泰・自伝と自作を語る』、世界の映画作家 14、p.70.〕。山田の回想によれば、それを機に加藤との文通が始まり、それは『馬鹿まるだし』の頃まで続いたという〔『山田洋次・自伝と自作を語る』、世界の映画作家 14、p.191-192〕。 撮影の丸山恵司は本作品で初めて加藤泰組に参加し、以後、加藤の遺作となる『ざ・鬼太鼓座』まで、加藤の松竹作品を中心に撮影を担当した〔日本映画データベース、丸山恵司 。2011年8月6日閲覧。〕。本作品では、加藤作品のトレードマークである極端なローアングルに加え、加藤の要望に応えてパン・フォーカスを多用している〔。本作品で脚本を執筆し助監督もつとめた三村晴彦は〔『アルチザンとしての加藤泰』、世界の映画作家 14、p.59.三村が脚本兼助監督として本作品に関わっていた事実が明かされている。ただし完成作品では、助監督についてはクレジット表記なし。〕、丸山恵司がもともと小津安二郎作品の撮影助手だったことを知った加藤が小津への尊敬の念を告白し、撮影終了後には共に連れだって、北鎌倉の円覚寺にある小津の墓に墓参したことを回想している〔『アルチザンとしての加藤泰』、世界の映画作家 14、p.59-60.〕。丸山は一方で、瀬川昌治の松竹時代の監督作品を支えたカメラマンでもある〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「みな殺しの霊歌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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