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安井 かずみ(やすい かずみ、1939年1月12日 - 1994年3月17日)は、神奈川県横浜市出身の作詞家、訳詞家、エッセイスト、歌手。本名は漢字で一美。愛称はズズ(ZUZU)。初期のペンネームは みナみ カズみ〔ただし、彼女以外にも共有されていた可能性が非公式に示唆されている。〕。 数々の有名人からも人望が厚く、信仰の厚い日本基督教団のクリスチャンでもあった。 == 略歴 == フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。女流画家を目指していたが、在学中にみナみカズみのペンネームで神田のシンコーミュージックでアルバイトで訳詞をしたことがきっかけで作詞家となる。フランス語の訳詞ができる数少ない語学力と独特の発想による歌詞世界で知られる。 1965年 - 伊東ゆかりの「おしゃべりな真珠」で第7回日本レコード大賞作詞賞を受賞。以降、小柳ルミ子の「わたしの城下町」など数々のヒット曲を送り出し、多くの賞を受賞した。作詞した作品の総数は約4000曲にものぼる。 海外旅行がめずらしかった当時、世界中を旅をして、貴族や有名人と優雅な生活を送った。 1967年 - ローマにて青年実業家と結婚するも、翌年ニューヨークにて離婚。 1969年 - パリに暮らし、1971年に帰国。 1970年代 - 川口浩が経営するプール付きマンション「川口アパートメント」に入居、親友加賀まりこ、野際陽子、コシノジュンコ、かまやつひろし、吉田拓郎、金子国義や当時のトップモデルなど多くの業界人が集った。豪快な車の運転も有名で、酔っ払ってフェラーリをぶつけ「いいの、次はペダルカーに乗るから」と言ったという逸話もある。 親友加賀まりことともにレストラン『キャンティ』常連組の一人。また、小説家の森瑶子とも親交が厚かった。 1977年 - 安井より8歳年下でミュージシャンの加藤和彦と再婚。優雅なライフスタイルで公私ともに行動を共にし、憧れの夫婦として支持された。 コンスタントにエッセイストとしても活動したが、発癌し余命1年宣告で夫の緩和治療の希望のままに、1994年3月17日、肺癌のため55歳の若さで逝去。「金色のダンスシューズが散らばって、私は人形のよう」が絶筆であった。 2012年3月 - NHK「ハイビジョン特集」にて安井の闘病生活を題材にした単発ドラマ「優雅な生活が最高の復讐である」が放映される。安井役を麻生祐未、加藤役を袴田吉彦が演じる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安井かずみ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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