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むのたけじ : ウィキペディア日本語版
むのたけじ

むのたけじ武野 武治1915年1月2日 - )は、日本のジャーナリスト埼玉県さいたま市在住〔週刊新聞「たいまつ」全780号 デジタル化 (「河北新報」2015年10月17日〕。
== 経歴 ==
秋田県仙北郡六郷町(現美郷町)の小作農民の家に生まれる。旧制県立横手中学校(秋田県立横手高等学校の前身)から東京外国語学校スペイン語科卒業。報知新聞記者を経て、1940年(昭和15年)朝日新聞社に入社、中国東南アジア特派員となるが、敗戦を機に、1945年(昭和20年)8月15日太平洋戦争の戦意高揚に関与した責任をとり退社した〔戦争なくし 世界を一つに 讀賣新聞2015年2月8日)〕。戦前・戦中期には近衛文麿東条英機鈴木貫太郎ら政権中枢の政治家・軍人、また、画家の藤田嗣治、小説家の火野葦平らにインタビューした経験があるという〔。
1948年(昭和23年)元旦、妻子4人を連れて秋田県横手市に帰郷、2月にはタブロイド版の週刊新聞「たいまつ」を創刊、反戦の立場から言論活動を続けた。以後「休刊」の1978年(昭和53年)の780号まで出し続けた〔。
1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙には秋田2区から無所属で立候補したが落選している。
2011年2月27日に放送された、NHKスペシャル『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』シリーズ、第3回「"熱狂”はこうして作られた」 の終盤に出演し、96歳で健在な姿を見せた。
2011年8月14日NHK BSプレミアム放送の『100年インタビュー「96歳のジャーナリスト・むのたけじ」』 にてジャーナリストとしての思いを直言し、鋭く雄弁に語った。
2012年花巻市の「宮沢賢治学会 イーハトーブセンター」から第22回イーハトーブ賞を受賞した。
2013年5月10日放送の報道ステーションに出演し、自ら体験した戦前・戦中の表現の自由言論統制を振り返りつつ、憲法改正の議論に対してジャーナリストの立場から意見を述べた。
2015年10月10日放送の「ETV特集 むのたけじ 100歳の不屈 伝説のジャーナリスト 次世代への遺言」〔むのたけじ 100歳の不屈 伝説のジャーナリスト 次世代への遺言|ETV特集 〕では、戦後70年の節目の年に100歳を迎えたむのが、沖縄で講演会を行う様子が映しだされた。
同年、東京外国語大学より、80年越しの卒業証書が手渡されている〔100歳むのたけじさんに80年越し卒業証書 二・二六事件で母校混乱 (「東京新聞」2015.10.30)〕。
2016年1月31日放送のBS-TBS関口宏の人生の詩(毎週一人のゲストを呼びその半生に迫る)にて、ゲストとして登場。生い立ちから戦争中の報道、終戦後一人朝日新聞を辞め、地元秋田で新聞週刊たいまつを創刊した話題を詳細に語った。さらに、たいまつ創刊後16年時点のドキュメンタリー映像を関口とともに視聴し、感想を述べた。日本の現役最高齢101歳記者としての現在の政治状況についても言及した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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