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むらもてつ : ミニ英和和英辞書
むらもてつ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


むらもてつ ( リダイレクト:水木しげる ) : ウィキペディア日本語版
水木しげる[みずき しげる]

水木 しげる(みずき しげる、男性、1922年〔永らく1924年生れと公表していた。〕3月8日 - 2015年11月30日)は、日本漫画家文化功労者傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。
大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町出身〔『鳥取県人名録』(企画・編集 鳥取県人名録刊行委員会 旬刊政経レポート、1987年 583頁)〕、東京都調布市在住。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市で経営していたアパート「水木荘」から名付けた〔水木しげるさん死去 妖怪物で新分野 神戸・阪神間で下積み 神戸新聞 2015年11月30日閲覧〕。1958年に漫画家としてデビュー。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。
== 概要 ==
1922年(大正11年)に大阪で生まれ、鳥取県境港市で育つ。幼少時、まかない婦として家に出入りしていた景山ふさ(のんのんばあ)が語り聞かせた妖怪の話に強い影響を受ける。
高等小学校卒業後、画家を目指して大阪で働きながら学ぶ。やがて徴兵年齢に達し、体躯壮健ながら近眼であった事から乙種合格となり補充兵役編入。1943年召集され、帝国陸軍の軍人()として太平洋戦争下のニューギニア戦線ラバウルに出征。過酷な戦争体験を重ね、米軍の攻撃で左腕を失う。一方で現地民のと親しくなり、ニューブリテン島に残ることも希望したが、周囲の説得で日本へ復員した。
復員後は貧窮により画家の修行を諦め、生活のために始めた紙芝居作家を経て上京。1958年貸本漫画ロケットマン』で貸本漫画家としてデビュー。1960年から断続的に『墓場鬼太郎』シリーズを発表し始める。
1961年飯塚布枝と見合い結婚。1963年、『悪魔くん』を貸本の東考社から出版。1964年、『ガロ』で商業誌デビュー。1965年に『テレビくん』が講談社児童まんが賞を受賞したほか、貸本時代に描いていた『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』といった作品が『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』にそれぞれ掲載され、以降、妖怪を扱った作品により人気作家となった。1966年には『悪魔くん』がテレビドラマ化。最大のヒット作となった『ゲゲゲの鬼太郎』は1968年より5度テレビアニメ化されている。1993年、幼少期を過ごした境港市に町おこしとして水木しげるロードが建設され、2003年には水木しげる記念館が開館した。
長年の漫画と妖怪文化への功績が称えられ、1991年紫綬褒章2003年旭日小綬章を受章。2007年、『のんのんばあとオレ』によりフランス・アングレーム国際漫画祭で日本人初の最優秀作品賞を受賞。また1973年に執筆した『総員玉砕せよ!』がアングレーム国際漫画祭遺産賞、米アイズナー賞最優秀アジア作品賞をそれぞれ受賞している。妖怪研究家として、世界妖怪協会会長、日本民俗学会会員、民族芸術学会評議委員などを歴任。調布市名誉市民、東京都名誉都民2010年文化功労者にも選ばれた。2013年、『水木しげる漫画大全集』の刊行が開始される。
2015年11月30日多臓器不全により死去。満93歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shigeru Mizuki 」があります。




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