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本木 雅弘(もとき まさひろ、1965年12月21日 - )は、日本の俳優、元歌手。本名・内田 雅弘(うちだ まさひろ)旧姓・本木。 愛称は「モックン」「すばる」。埼玉県桶川市(旧・北足立郡桶川町)出身。血液型A型。 身長174cm、体重68kg。 ジャニーズ事務所所属の3人組アイドル「シブがき隊」の元メンバー。所属芸能事務所はジャニーズ事務所 → 個人事務所「メンズアート」。 == 人物・来歴 == 1965年、埼玉県桶川市に誕生。実家は15代続く農家。3人兄弟の次男で、兄と弟がいる。父が農業高校時代の卒業文集を眺めていてたまたま目に留まった名(雅弘)を命名した。 1981年、TBSドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー。他に薬丸裕英、布川敏和、三田寛子も、このドラマでデビューしている。 1982年、アイドルグループ「シブがき隊」のメンバー「モックン」として、布川敏和(フックン)・薬丸裕英(ヤックン)とともに、シングル『NAI・NAI 16』で歌手デビューし、たのきんトリオに続く三人組のトップアイドルに。同期に、小泉今日子・堀ちえみ・松本伊代・三田寛子・中森明菜・石川秀美・新田純一。 浦和学院高等学校1年在学中の途中から明治大学付属中野高等学校定時制に編入するが2年の途中で中退した。 1988年シブがき隊を“解隊”後、俳優活動を開始。翌年、『ファンシイダンス』で役に合わせて坊主頭で挑み、映画初出演ながらシブがき隊のイメージを覆す演技を見せた。 1991年、篠山紀信撮影によるヘアヌード写真集『white room』を出版する。また1992年、ソロとして初出場した第43回NHK紅白歌合戦(曲は井上陽水のカバー「東へ西へ」)で、コンドームを首からぶら下げた衣装や臀部を見せるパフォーマンスをサプライズで行い、物議を醸した。しかし、この演出はエイズ(後天性免疫不全症候群)撲滅のメッセージが込められていたという。 1995年、現在はエッセイストなどとして活躍する内田也哉子と結婚。本木が海外の映画賞を取材する番組に、内田が通訳として同行していて知り合う。彼女が17歳の時にプロポーズした。婿養子となり、1997年に長男・雅楽(うた)、1999年に長女・伽羅(きゃら)、2010年に次男・玄兎(げんと)の3児を儲け、長女の内田伽羅は『奇跡』などの映画に子役として出演しているほかモデルとして活動している。岳父はロックミュージシャン内田裕也、丈母は女優の樹木希林。岳父が長年主催している「ニューイヤーロックフェスティバル」には直接・間接的に毎年協力している。 俳優として本格的に活動し、映画『シコふんじゃった。』、大河ドラマ『徳川慶喜』など主演した作品がヒットする。 企画を自ら持ち込み、主演も務めた『おくりびと』が2009年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。アカデミー賞のレッドカーペットではインタビューに英語で答えた。この映画での活躍により2009年3月20日、埼玉県民栄誉章を受章した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本木雅弘」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Masahiro Motoki 」があります。 スポンサード リンク
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