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やすえ・やすよは、かつて吉本興業に所属していた女性漫才コンビ。 == 経歴 == やすえは、フジテレビ『笑ってる場合ですよ!』のワンコーナー「お笑い君こそスターだ!」に高校の同級生と出演するなど、素人時代から活動していた。しかしプロへの道は険しく、その後相方となるやすよと共に、アイドル歌手を目指して『スター誕生!』や『ホリプロタレントスカウトキャラバン』などのオーディションに応募するも、ことごとく落選する日々が続いていた。 ある時、やすえは、やすよの家族が花月を見に行くというので一緒に見に行く。その際、タレントオーディションのポスターを見かけたので応募したところ、合格。花月・ポケットミュージカルスのバックダンサーとなるも、ほどなくしてポケットミュージカルスは解散となる。 時期を同じくして、毎日放送『素人名人会』で急遽代演としてやすえとやすよの即席コンビで漫才を披露したところ、名人賞を獲得。桂小文枝(のちの5代目桂文枝)の代わりに審査員を務めていた横山やすしからも絶賛された。 正式コンビデビューする以前の1982年3月30日には、当時爆発的に人気漫才番組であったフジテレビの「THE MANZAI」に出演している。 1982年4月1日、その縁もあり女性漫才コンビ「やすえ・やすよ」を正式に結成。なんば花月上席の「フレッシュコーナー」で初舞台を踏む。コンビ結成わずか29日目には、朝日放送主催「第3回ABC漫才・落語新人コンクール」(現:ABCお笑いグランプリ)で審査員奨励賞を受賞し、その受賞発表の際には2人とも号泣した。 その後、数多くの関西の漫才コンテストで賞に輝き、期待の新人漫才師と注目されていたが、1984年12月30日にうめだ花月下席の舞台を最後にコンビを解散する。やすえはコンビ解散後の翌日に吉本新喜劇に入団し、「未知やすえ」と改名。やすよはコンビ解散を機に芸能界を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「やすえ・やすよ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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