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吉田照美のやる気MANMAN!(よしだてるみのやるきまんまん)は、文化放送で1987年(昭和62年)4月6日から2007年(平成19年)3月30日まで放送された平日午後のラジオワイド番組。通称『やるMAN』。 == 概要 == 1980年代、文化放送の午後の時間帯は聴取率が低迷していた。これを打開するため、夜ワイド『吉田照美のてるてるワイド』で人気を博した、同局元アナウンサーの吉田照美(1985年4月よりフリー)をメインパーソナリティに起用し、1987年4月、新たな昼ワイド番組(13時 - 15時:日本時間(JST)。以下同じ)をスタートさせたのが『やるMAN』である。当初スタッフ内では“哲ちゃんから照ちゃんへ”を目標としていたという〔月刊ラジオパラダイス 10988年8月号 p.111〕。 吉田の相手役には、当時同局アナウンサーの小俣雅子(1990年4月よりフリー)を起用。2人は同じ局のアナウンサー同士だったものの、以前からんだ経験はほとんどなかったが、次第に両者歯に衣着せない独自のかけ合いが定着した。小俣の度重なる“トチリ”や失言がクローズアップされ、それに対して吉田が「小俣ぁー」「お前よぉー」「バカ!」等と漫才の如くツッコミ・罵倒するのが典型的な展開ではあったが、話の流れによっては小俣が吉田に攻撃・揶揄(やゆ)する場面も少なくなかった〔三才ムックVol.144『ラジパラ』 p.116-117〕。 吉田とプロデューサーの中根義雄の考えが一致したこともあって〔吉田照美・著『ラジオマン』(ぴあ)142 - 143ページ〕、従来AMラジオの昼ワイド番組の主流だった年長者向けの雰囲気とは一線を画し、「深夜放送のノリでふざけた企画を行う番組〔」「白昼の深夜トーク」と言った形で夜の若者向け番組のような内容・特色を昼の時間帯に持ち込んだことで、主に20代・30代の男女から強い支持を獲得。それまでの昼間のAMラジオ番組にはみられなかった若年層をリスナーに取り込んだ〔。それまでのラジオ昼ワイドのスタイルは、ゆったりしたトークに適度なHネタ、かける曲は演歌か歌謡曲と言った感じだったが、この番組はそのいずれも否定していた〔。 番組の人気はゆるやかに上昇し、1992年10月からは16時までの3時間枠に拡大された。しかし吉田曰く、この1992年10月頃が一番番組存続の危機の時だったとのこと。しかしこの頃にやったむさしの村で9,000人の大観衆を集めての公開生放送をきっかけに番組は躍進して行ったと話している〔。この翌年1993年には、同時間帯聴取率1位を初めて獲得した。これ以後“昼の王者”“お化け番組”と目されるようになり、聴取率では放送終了までに“V55”(同時間帯1位を獲得した通算回数)を数えた〔。 2007年3月、20年間の歴史に幕を下ろした。 このような長寿番組でありながら、パーソナリティのコンビが途中一度の交代もなく、全曜日通して同じだった例は、ラジオの帯ワイド番組の中でもまれである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田照美のやる気MANMAN!」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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