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ユン・ピョウ(元 彪、Yuen Biao、1957年7月26日-)は、香港のアクション俳優。 == 経歴・人物 == === 出生からブレイクまで === 両親は中国江蘇省南京の出身で、第二次世界大戦前に香港へ移住。香港・九龍のの家に生まれる。兄1、姉3、本人、妹3人の8人兄弟の5番目。 京劇好きの父が毎日のようにユン・ピョウをサモ・ハン・キンポーやジャッキー・チェンが出演している舞台に連れて行っていたため、すっかり京劇が気に入っていた。そのため父の勧めで5歳で香港・九龍の尖沙咀(チムサーチョイ)にあった中国戯劇学院に入学。学内でも特に優秀な子供を集めた「七小福」(zh)の最年少メンバーに選ばれ「元彪」の芸名を貰う。同じく七小福のメンバーであったサモ・ハン・キンポーやジャッキー・チェン、ユン・ワー、、ユン・ケイらとともに10年間に渡り于占元から北方の京劇を学んだ。 ハンサムだったため学院内の女子生徒や一般の女の子から非常に人気があった、とサモ・ハン・キンポーが述懐している。 その後映画の道に進み、14歳からエキストラやスタントマンで現場に行くが、他の兄弟子達に比べて小柄だったために「子どもは向こうへ行きなさい」と監督らに言われる。そのため手近にあった炭のようなものを顎の周辺に塗って、遠くからなら髭が生えているように見せかけて仕事をもらった〔2012年2月22日放送 安徽衛視のトーク番組 非常静距离で発言〕。 ブルース・リーの映画には七小福の兄弟子たちと端役ながら『ドラゴン怒りの鉄拳』、『ドラゴンへの道』、『燃えよドラゴン』に出演。 後に武術指導などをつとめ、ブルース・リーが撮影期間中に急逝し未完となっていた『死亡遊戯』では監督を引き継いだサモ・ハン・キンポーにユン・ワーと共に起用され、ブルース・リーの足技や、体格が似ていたため彼のオートバイ・アクションのスタントをつとめた。 中国戯劇学院出身者が多い元家班やサモ・ハン・キンポーのスタント・武術指導チームの洪家班でも活躍。ジャッキー・チェンの吹き替えスタントをはじめ、アクションのできない男優や、小柄な身体を生かして女優の吹き替えスタントも多数つとめているため、海外では『ダブリング・キング』の愛称がある。 映画の世界は厳しく、本人は三流の俳優になるよりも堅実そうに思えた武術指導で一流になることを目指し、裏方に進んだその後にチャンスがあれば監督になるつもりだったが、「お前は顔がいいから武術指導より役者に向いている」というサモ・ハン・キンポーの勧めで『モンキー・フィスト 猿拳』に主演で本格デビューを果たし、『ユン・ピョウINドラ息子カンフー』『プロジェクトA』や『スパルタンX』で一躍スターとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユン・ピョウ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yuen Biao 」があります。 スポンサード リンク
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