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よこた とくお(1936年10月30日 - 〔)は、日本の漫画家。福島県出身〔。別名、横田徳男、横田とくお。 == 人物 == 福島県田村市(旧田村郡七郷)出身。馬場のぼるに憧れ漫画家を目指す。中学時代に「毎日中学生新聞」に漫画を投稿し入選する。上京し働きながら「漫画少年」誌に投稿を続ける。「漫画研究」に短編ギャグ作品が掲載され、「漫画研究」の投稿者の集会で赤塚不二夫、長谷邦夫らと会い、勧めにより石森章太郎が主宰する「東日本漫画研究会」の「墨汁一滴」に参加する。 会社を辞し、赤塚不二夫と西荒川で共同生活をしながら、つげ義春の勧めもあり、貸本漫画家を目指す。1955年日昭館の貸本漫画『山びこ剣士』でデビュー。1956年、手塚治虫発案による同人グループ「かこう会」に参加する。 1958年にトキワ荘の鈴木伸一の退去後の部屋に入居する。トキワ荘の〔入居期間は、1958年 - 1961年〔。1959年からは雑誌「少女クラブ」にギャグ漫画『アンコさん』を連載開始。初期の頃は少女漫画やギャグ漫画を主に描いていた。1961年にトキワ荘を赤塚不二夫と同時期に退去し、トキワ荘のちかくにあるアパートに住む。隣室は赤塚不二夫であった。1963年、七福人プロダクションに参加する。同年、集英社が創刊した「週刊マーガレット」に「マーガレットちゃん」を連載し、好評を博す。この時期、「ぱっちりパコちゃん」や「あかんべー助」など、少年少女の多数の雑誌にギャグ漫画を発表する。 親交のあった石ノ森章太郎の誘いを受けて〔、石ノ森の学習漫画「アスガード7」の作画を担当。これを契機に、学習漫画を多く描くようになり〔、学習漫画界の第一人者として活躍を遂げるようになる〔。 現在は学習漫画家の集まりであるLACの会の理事を務める。「建築工事の積算」など成人向けの学習漫画や「まんが北橘村史」など地域の歴史を解説する漫画など作品は多岐にわたる。 また、トキワ荘跡に設けられた記念碑の落成式には、アニメーターの鈴木伸一、漫画家の水野英子とともに招待された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「よこたとくお」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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