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「よこはま・たそがれ」は、五木ひろしの楽曲で、再デビューシングルである。1971年3月1日に発売。五木にとって、旧名義含めて通算11枚目のシングルとなる。 == 解説 == 五木ひろしは1965年に“松山まさる”としてデビューしたが、全くヒットには恵まれていなかった。そこで歌手生命のすべてを賭けてよみうりテレビ『全日本歌謡選手権』に挑戦し、10週を勝ち抜く。その結果、自身4つ目の芸名である“五木ひろし”で再デビュー、という経緯がある。そのため、五木は本曲について「自分の原点であり、全てのスタートを切った曲」と思い入れを持っている〔【紅白リハ】五木ひろし、天国の山口洋子さんへ「追悼と感謝」 ORICON STYLE 2014年12月29日閲覧〕。 発売から3ヶ月目にオリコンチャートトップ10に初登場し、7週間後には最高位である1位を記録した。2016年現在で五木にとってこの曲が唯一のオリコン1位獲得作である。 五木は本曲で第13回日本レコード大賞歌唱賞の他、第2回日本歌謡大賞放送音楽賞等、多数を受賞。また1971年の第22回NHK紅白歌合戦初出場を果たす。紅白歌合戦では1971年と2014年の第65回紅白歌合戦の2回、本曲を歌唱した〔2014年は本曲作詞者の山口洋子が死去したことを受けて、山口への追悼の意を込めての選曲であった。〕〔。 横浜市歌、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」と並び、横浜のご当地ソングである。 フジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオ』の歴代最多出演回数を記録しているが、初出演時にはこの曲を披露した(1971年6月21日放送)。 マイクを左手で持ち、右手は拳を握るという構え方(五木の当時の所属事務所(野口プロモーション)がキックボクシングジムを経営していたことによる)は、この曲から始まった。 累計売上は153万枚〔『読売新聞』1999年4月6日付大阪朝刊、32頁。〕を記録。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「よこはま・たそがれ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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