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李 克強(り こくきょう、リー・クーチアン、1955年7月1日 - )は、中華人民共和国の政治家。第7代国務院総理(首相)、第17期・第18期中国共産党中央政治局常務委員、党内序列第2位。胡錦濤と同じく中国共産主義青年団(共青団)出身。習近平とともに、中国共産党第5世代の指導者の一人と目されている。 == 略歴 == 安徽省定遠県生まれ。胡錦濤とは、戸籍上は同郷人である〔中国共産党の公式発表では、胡錦濤の出身地は「安徽省績渓県」であるが、本当は上海市の生まれである。〕。1974年3月から1978年3月にかけて安徽省鳳陽県大廟公社で労働に従事。この間の1976年5月、中国共産党に入党。同年11月より、大廟公社大廟生産大隊党支部書記を務める。文化大革命が終息した1970年代末に全国普通高等学校招生入学考試が復活すると鳳陽県の首席(高考状元)となり、1978年3月に北京大学法律系(法学部)に入学する。在学中は全校学生会責任者を務めた。 1982年2月に大学を卒業し、法学学士号を修得。同月から翌年12月にかけて、北京大学共青団委員会書記・共青団中央常務委員・共青団中央学校部部長兼全国学校連合会秘書長を務めた。1983年12月、共青団中央書記処候補書記となり、1985年11月に共青団中央書記処書記に就任。李が共青団中央書記処入りしたこの時期、胡錦濤もまた先任の書記として在籍しており、1984年から1985年にかけて共青団中央書記処第一書記の地位にあった。李は1986年6月、全国青年連合会副主席を兼任。1988年9月から1994年12月にかけて、在職のまま北京大学経済学院経済学専攻大学院に学び、経済学修士号・博士号を修得する〔。〕。この間、1991年9月から11月にかけて中国共産党中央党校でも学ぶ。 1993年3月、共青団中央書記処第一書記に昇格し、中国青年政治学院院長を兼ねた。同月、安徽省代表として第8期全国人民代表大会常務委員会委員・全人代常務委員会代表資格審査委員会委員に選出される。その後、第9期(1998年 - 2003年)・第10期(2003年 - 2008年)・第11期(2008年 - )の全人代代表(議員)に選出される。 1997年9月の第15回党大会で党中央委員に選出された李は、1998年6月、共青団中央書記処第一書記兼中国青年政治学院院長を退き、党務に転じて河南省に赴任し、河南省党委員会副書記に就任した。翌月には河南省副省長を兼任。その後、省長代理を経て、1999年2月には正式に河南省省長兼省党委副書記・省政府党組書記に就任した。2002年11月、第16回党大会で中央委員に再選。翌月、河南省党委書記に就任。2003年1月、兼任していた河南省省長を退任し、河南省人民代表大会常務委員会主任を新たに兼務する。次いで2004年12月、遼寧省党委書記に転じた。これに伴い、翌年1月に河南省人代常務委員会主任を辞任した。2005年2月27日、遼寧省人民代表大会常務委員会主任を兼務。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李克強」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Li Keqiang 」があります。 スポンサード リンク
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