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ろ号作戦 : ミニ英和和英辞書
ろ号作戦[ろごうさくせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ごう]
  1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作戦 : [さくせん]
 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

ろ号作戦 : ウィキペディア日本語版
ろ号作戦[ろごうさくせん]

ろ号作戦(ろごうさくせん)は、1943年11月2日から11月11日までの間に実施された日本海軍の航空作戦である。10月27日の連合軍モノ島上陸をきっかけにブーゲンビル島周辺に来襲した連合軍の上陸船団とそれを支援する艦隊に対して行なわれた。日本海軍は第一航空戦隊の艦載飛行機隊を投入し連合軍攻略部隊の捕捉撃滅を目指したが、有効な打撃を与えることができず、かえって機材、搭乗員に深刻な損害を受けた。
同時期に連合軍がラバウルに対して行なった攻撃についてはラバウル攻撃を参照。
== 背景 ==
1943年6月30日の連合軍レンドバ島上陸に始まる中部ソロモンを巡るニュージョージア島の戦いは、現地の日本陸海軍守備隊の敢闘も虚しく、9月28日に始まる「セ号作戦」によりニュージョージア島コロンバンガラ島より全ての部隊が撤退し、10月6日にはベララベラ島からも撤退、またこれに先立って7月27日にはイサベル島のレカタ基地も撤収し、これによって秋には中部ソロモンから日本軍の姿が消えることとなった〔#戦史96、p250、p300~、p307〕。また、日本軍が南東方面の確保すべき要域として激戦が続いていた東部ニューギニアラエおよびサラモア地区も、9月4日、ラエの東方ホポイに連合軍が上陸、その北方には空挺部隊が降下し、この結果ラエの日本軍はサラモアを迂回しワウ付近から北上する連合軍部隊との間で三方から包囲される体勢となった。これによりラエ、サラモア地区は急速に事態が悪化、周辺地域から後退しつつラエ付近に集結した日本軍守備隊は一路サラワケット山脈を越えてフォン半島北部のへ転進を決めた。しかし連合軍の攻勢は止まず、9月22日にはそのフォン半島の先端部北部に位置するに上陸、その南方の半島先端部の要衝フィンシュハーフェンへと迫った。当時この付近の日本軍部隊は広く分散しておりまた、フォン半島南部のホポイに上陸した連合軍に対する備えのため、部隊の多くを半島南部に展開していた。連合軍はその日本軍の手薄な、しかもダンピール地区の要衝フィンシュハーフェンの間近である半島先端部の北部に上陸してきたのである。このため日本軍は対応に手取り、10月4日には早くも連合軍はフィンシュハーフェンの飛行場を占領、これを使用し始めた。その後マダン方面から陸路送られた第20師団の攻撃が10月16日より開始されたが、同地の奪回はならず、24日にはフィンシュハーフェンの西高地へ後退した〔#戦史96、p339~p349〕。10月12日にはキリウイナ島基地から飛び立った米第5空軍所属の大型爆撃機87機、中型爆撃機114機、ビューファイター12機、P-38戦闘機125機、その他合計349機による、連合軍初のラバウル昼間爆撃があった〔#戦史7、p542〕。こうした状況下、南東方面の10月後半の前線は、東部ニューギニアと西部ニューブリテン島をつなぐダンピール海峡周辺からソロモン諸島のブーゲンビル島、ショートランド諸島の線にまで後退していた。
一方、昨年末来積極的な活動の見えなかった米機動部隊は5月以降、新造空母エセックス級インディペンデンス級の増勢などを受けた結果秋には正規空母6隻、軽空母5隻となり日本海軍に対してようやく優位な陣容を構えるにいたった。その結果8月31日のベーカー島空襲を皮切りに再び活動を開始、9月1日に南鳥島、同月16日にはギルバート諸島、そして10月にはウェーク島を相次いで空襲、大本営は「敵機動部隊による本土空襲のおそれあり」と警報を発した。このため連合艦隊はこれを迎え撃つためZ作戦要領〔「Z作戦」(正確には「連合艦隊Z作戦要領」)とは昭和18年8月15日に連合艦隊より発令された第三段作戦命令に関連して発令され、太平洋正面に敵攻略部隊が来攻した際の邀撃要領を定めたものである。その内容は太平洋を三つの邀撃帯に分け(それぞれ甲作戦、乙作戦、丙作戦と呼称される)、さらに地域ごとにその要領は細分化され、内南洋地区の第三邀撃帯(丙作戦)の場合、該当地域によって第一法から第七法までが存在した。#戦史39、p431~p433、p450~458〕に従い、トラックから第二艦隊、第三艦隊を中心とする機動部隊が出撃することとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ろ号作戦」の詳細全文を読む




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