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わが友アイリーン : ミニ英和和英辞書
わが友アイリーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

わが友アイリーン ( リダイレクト:マイ・シスター・アイリーン (1955年の映画) ) : ウィキペディア日本語版
マイ・シスター・アイリーン (1955年の映画)[ちょうおん]

マイ・シスター・アイリーン』(''My Sister Eileen'')は、1955年(昭和30年)製作・公開、リチャード・クワイン監督の長篇ミュージカル映画である。
== 略歴・概要 ==
1940年(昭和15年)12月26日ブロードウェイのビルトモア劇場(現在のサミュエル・J・フリードマン劇場)で初演された、ルース・マッケニーの小説を原作としたジョセフ・フィールズジェローム・チョドロフの戯曲『マイ・シスター・アイリーン』が原作である。監督のリチャード・クワインは当時は俳優で、初演の舞台にフランク・リッピンコット役で上がっており、舞台の2年後の1942年(昭和17年)9月24日に公開されたアレクサンダー・ホール監督による初の映画化の際にも、リッピンコット役で出演している。本作はその本格リメイクである。
本作のコレオグラファーはロバート・フォッシー、のちに映画監督になるボブ・フォッシーで、本作にも俳優として、かつてクワインが演じたリッピンコット役を演じている。ロケーション撮影ニューヨークで敢行したほか、カリフォルニア州ロサンゼルスの北部、バーバンクのコロムビア/ワーナー・ブラザーズ牧場でも行なった。
本作は、1955年(昭和30年)9月22日、全米で封切られ、フランスでは1年後の1956年(昭和31年)8月29日パリで公開されている。本作を公開時にパリで観た、当時長篇デビュー前ののちの映画監督のジャン=リュック・ゴダールが、映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』誌上で発表した「1956年のベストテン」に本作を第10位にランクインさせている〔''Les Cahier du Cinema'', Numero 67, Janvier 1957, 1957年1月号。〕。日本では、当時公開されなかったが、コロンビア映画の版権を保有するソニー・ピクチャーズエンタテインメント2005年9月28日2009年6月24日にDVDとして発売した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マイ・シスター・アイリーン (1955年の映画)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 My Sister Eileen (1955 film) 」があります。




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