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渡辺寛 渡辺弘 渡辺弘 (サックス奏者) 渡邊博
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わたなべひろしは、熊本県熊本市出身の男性アニメーター、アニメーション監督、アニメ演出家である。スタジオ・ライブ出身。 別名義に本名の渡辺浩や渡辺ひろしがある。 1980年代半ばに『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の作画監督を務めて、人気を博する。1986年に『強殖装甲ガイバー』で演出家デビュー。1990年代半ばから本格的に演出家へ転身、スタジオディーンを活動の拠点としている。その他の代表作品には、『逮捕しちゃうぞ』(監督)などがある。 == 来歴 == 中学時代に見たアニメ『宇宙戦艦ヤマト』でアニメーターになることを決意。芦田豊雄率いるスタジオライブでの面接にも、8ミリ映画で自主製作した『宇宙戦艦やまと』を持参した〔面接で描いたのは『ヤッターマン』のヒロインのアイだったという(『アニメック』Vol.31、ラポート、p.70)。〕。1978年にテレビアニメ『まんが日本絵巻』の動画でデビュー。初原画は1979年の『サイボーグ009』の第1話。1982年には出世作となる『魔法のプリンセス ミンキーモモ』で作画監督を担当して、アニメ雑誌から注目を集める。キャラクターデザインの芦田豊雄に代わり、主役キャラクター・モモをものにした渡辺は版権イラストの多くを手がけ、アニメ雑誌がミンキーモモを表紙にするときはそのイラストを描いている。8年後に制作された続編では、芦田に代わりモモのデザインを任された。 1982年にスタジオ・ライブの同僚だった長谷川桂子(のちにわたなべけいこと改名。改姓後の本名は渡辺桂子。2000年8月頃死去〔「日本ミンキーパーク」内・モモグッズ新着情報 - 2000年9月24日の記事より。インナージャケット紹介欄の下に小さくコメントされている。〕)と結婚。長谷川は結婚後、安彦良和が率いるアニメスタジオの九月社に入社し、『クラッシャージョウ』、『巨神ゴーグ』などの作品を手がけた後、アニメーターを退き、わたなべが手掛けるイラストの彩色などを担当するようになった。 神志那弘志やヤマサキオサム、平田智浩を輩出した熊本工業高等学校インテリア科の出身であり、同校ではアニメーション同好会を設立して初代会長を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「わたなべひろし」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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