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『われらが神は堅き砦』(Ein feste Burg ist unser Gott)BWV80は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1724年10月31日の宗教改革記念日のために作曲したと推察される教会カンタータ。全8曲からなり、マルティン・ルターのコラール、「神はわがやぐら」全4節をそのまま取り込んだ曲で、古くより人気がある。 ==概要== 1517年10月31日、ルターは「95ヶ条の提題」を発表し、宗教改革を始めた。ルーテル教会ではこの日を記念日として礼拝を営む。当日の礼拝では、ヨハネ黙示録第14章6-8節を主題とした説教が展開される。福音を携えた天使が全人類に裁きの時を告げ、神への礼拝を呼びかけるくだりである。カトリック教会を介さず、信徒自らが直接神に祈ることを勧める。これを受けたカンタータは、おもカトリック教会を念頭に置きつつ、あらゆる迫害との闘争や、中傷に屈しない信仰心を喚起するものとなっている。 資料の伝承は不完全で、初演稿は消失。自筆の再演稿総譜は四散して多数の所有者が所有しており、欠損もある。完全に伝承している最古の資料は、娘婿ヨハン・クリストフ・アルトニコルが1740年代中盤に作成した改訂稿総譜のコピーである。現在の演奏はアルトニコルの残した改訂稿を基本としている。初演稿が失われているため、記念すべき初演の年は1724年ではないかと予想するのが精一杯の状況である。 成立までの経緯には紆余曲折がある。1715年3月24日、ヴァイマルで原曲の80a番『神より生まれし者はすべて』(Alles, was von Gott geboren)が完成する。しかしこの曲は、復活祭前第4日曜日のために書かれたカンタータであったため、四旬節から聖金曜日までカンタータ演奏を自粛するライプツィヒでは演奏不能となった。80a番第1曲アリアには、「われらが神は堅き砦」のメロディがオーボエで組み込まれていた。これを利用し、1724年10月31日にコラール合唱を組み込んだ初稿に改作したと考えられる。80a番と初稿の音楽資料は失われ、1727年-1731年頃に再演した時の総譜が例の散在した直筆稿である。1744年-1747年頃の再演に際して、バッハは第1曲を壮大なコラール・フーガに改めた。これがアルトニコルによって伝承された稿である。バッハの死後、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハが手を入れ、トランペット3本とティンパニを加筆した。現在ではアルトニコル稿を基調とし、フリーデマンの加筆を除去したものが演奏に供される。 終曲コラールを除く80a番から継承した曲は原作者ザロモン・フランクの台本を引き継いでおり、コラール全4節は崩されることなくそのまま使われている。フランクの台本にコラールをはめ込み直した第2の台本作者は判明していない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「われらが神は堅き砦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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