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アイネスフウジンとは日本の競走馬、種牡馬である。競走馬時代には第57回東京優駿(日本ダービー)に勝利し、種牡馬時代にはファストフレンドらを輩出した。主戦騎手は中野栄治(現・調教師)。 == 戦績 == 1989年にデビューすると初勝利までに3戦を要したが、勝ち上がった後の朝日杯3歳ステークスでは5番人気ながら、1000m通過が56秒9というハイペースの中を先行して1976年の同レースでマルゼンスキーが記録した1分34秒4のレコードタイで勝利した。この年のJRA賞最優秀3歳牡馬を受賞する。 明けて1990年、共同通信杯4歳ステークスに勝利するが、弥生賞は不良馬場でメジロライアンに敗れ、続くクラシック第一弾の皐月賞では3番枠のホワイトストーンが内によれたことにより馬にはさまれ〔『優駿』(日本中央競馬会)2009年月6号 〕逃げることが出来ず、ハクタイセイの2着に終わった。そして次走の東京優駿(日本ダービー)では3番人気となったアイネスフウジンであったが、スタート直後右によれるも〔『優駿』(日本中央競馬会)2009年月6号 〕自ら前半3ハロンを35.7の速いタイムで逃げをうった。皐月賞優勝馬ハクタイセイがこれを追いかけるが、絶妙のペースで逃げたアイネスフウジンは一度も先頭を譲ることなく、最後の直線でハクタイセイは脱落、さらに中団から追い込んできた1番人気メジロライアンにも1馬身1/4の差をつけて2分25秒3のレースレコードで逃げ切った。このレースレコードは、馬場改修工事が行われた14年後の2004年のキングカメハメハの勝利まで破られることはなかった(1999年のアドマイヤベガがタイレコードを出している)。 このとき、東京競馬場には19万6517人の観衆が詰め掛けていた。この入場者数は世界レコードであり、競馬人気の低迷や、これ以降ダービー開催の日は入場規制が行われた事情もあって、現在に至るまでこの記録は更新されていない。観衆はアイネスフウジンと中野に対し賞賛の意味を込めて「ナカノ」コールの大合唱を行った。これ以降、しばしばGI競走で優勝した騎手に対して同様のコールが発生するようになった。アイネスフウジンはレース終了直後に脚部に不安を発生しており、向こう正面から検量室へ戻ることが出来ずスタンド前から引き上げた〔『優駿』(日本中央競馬会)2009年6月号 〕。 夏以降は温泉療養などで復帰を目指したが、脚部不安が残ることから現役を引退した。引退式をJRAから薦められたが、「脚部不安で引退するのに、フウジンを馬場には出せない」との意向で行われなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アイネスフウジン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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