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「アイム・ノット・イン・ラヴ」()は、イギリスのバンド10ccの楽曲。メンバーのエリック・スチュワートとグレアム・グールドマンの作品で、発表された1975年以来多くのアーティストにカヴァーされ続けている、1970年代を代表する名曲の一つである。 1975年にリリースされた、全英チャート4位、全米チャート15位.を記録したアルバム『オリジナル・サウンドトラック』の2曲目に収録されており、ショートカット・ヴァージョンとしてシングル・リリースされた(イギリス版のシングルはフル・ヴァージョン)。日本版の『オリジナル・サウンドトラック』ではシングル・リリース版の「アイム・ノット・イン・ラヴ」も、ボーナストラックに収録されている。イギリスでは全英シングルチャートで1975年6月22日から2週にわたって1位、アメリカでは1975年5月17日に「ビルボード」のシングルチャート84位で初登場し、1975年7月9日から3週にわたって2位を記録した〔。また、1975年のイギリスのアイヴァー・ノヴェロ賞の最優秀楽曲賞を受賞している〔Lister, David, ''Pop ballads bite back in lyrical fashion'', ''The Independent'' (London), 28 May 1994〕。日本では出光のアポロイル・ベスト、日産のスカイライン、味の素のクノールPota 濃厚ポタージュなどのCMソングに使用されたことでも知られている。 == オリジナル == 「アイム・ノット・イン・ラヴ」はエリック・スチュワートが中心となり、グレアム・グールドマンの協力で書き上げた曲である。壮大なバックコーラス(「マルチトラック・ヴォイス」)などの革新的な構成要素で知られている。もともとはボサノヴァ風の曲調だったが、メンバーのケヴィン・ゴドレイがスローテンポな曲にすることを提案し、さらにロル・クレームが重厚なコーラスを採用することを思いついた〔Liam Newton『The Worst Band In The World』page=103〕。 エリック・スチュワートはBBCのインタビューで、当初はボサノヴァ風だった「アイム・ノット・イン・ラヴ」を、ケヴィン・ゴドレイとロル・クレームが「つまらん」と一蹴した。そして『オリジナル・サウンドトラック』の収録曲「パリの一夜」のレコーディングを続けていたところ、スタッフが「アイム・ノット・イン・ラヴ」を口ずさんでいることに気付いたとしている。さらにスチュワートは「俺はグレアム(グールドマン)の方を見て、あの曲がウケてるぜって言ったんだ。何だかよく分からなかったけど、もう一回やってみてもいいんじゃないかと思った。そしたらさっきまでこき下ろしてたケヴィン(ゴドレイ)が思いついたんだ。「もっと違うやり方はどうだろう。曲全編を声で埋め尽くしてみないか」ってね」と語っている。 「アイム・ノット・イン・ラヴ」の極めて優美なサウンドは、エンジニアを務めたスチュワート以外の10㏄のメンバー3人のユニゾンを多重録音することによって創られている。ユニゾンが多重録音されたテープは半音ずつずらしたコード13音が16トラック分オーバー・ダビングされた。それを3人分重ね、艶やかな624人分〔BS-TBS『Song To Soul~I'm Not In Love~』〕のコーラスを収録したテープが用意された〔Strawberry Studios . Retrieved at the Internet Archive, 19 January 2008.〕〔。多重録音されたテープは、主コードを含む複数のループパーツに分けられて曲に使用されている。ループパーツはミキシング・コンソールによって、キーボードの音色に似たフェーダー処理が施されている。また、曲中の「」というナレーションは、「アイム・ノット・イン・ラヴ」がレコーディングされたストロベリー・スタジオ (:en:Strawberry Studios) の受付係キャシー・レッドファーンが担当した。1980年代イギリスのロックバンドのボーイズ・ドント・クライ (Boys Don't Cry) は、このささやくようなナレーションから名付けられたとも言われている。サンプラーが導入されるまで、10㏄はこのような多重録音されたループパーツを使用した大規模なポリフォニーで、メロトロンやビロトロン (:en:Birotron) などの音声再生機器装置で得られるようなコーラスを録音していた。同様の手法で制作された楽曲に、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」(1977年)がある。 1975年5月にシングル・リリースされた「アイム・ノット・イン・ラヴ」は、全英シングルチャートで1973年の「ラバー・ブレッツ」に続く、10㏄では2曲目の1位を獲得した〔。アメリカの「ビルボード」の全米シングルチャートでは3週間にわたる2位が最高位で〔、このときそれぞれの週で1位だったのは、ヴァン・マッコイ&ソウル・シティ・シンフォニーの「ザ・ハッスル」、イーグルスの「呪われた夜」、ビー・ジーズの「ジャイヴ・トーキン」だった。なお、イギリスでシングル・リリースされた「アイム・ノット・イン・ラヴ」はアルバムに収録された6分10秒のフルバージョンで、アメリカでは3分42秒にカットされたバージョンがシングル・リリースされている。 「アイム・ノット・イン・ラヴ」の成功が10㏄の評価を世界的に高めることとなった。スチュワートは、当時所属していたジョナサン・キング率いるUKレコード (:en:UK Records) から、大手のフォノグラム・レコード (:en:Phonogram Records) へ移籍しないかと誘われており、新たな契約書にサインしようとしていたところだったとしている。「アイム・ノット・イン・ラヴ」完成直後に「彼ら(フォノグラム・レコードの担当者)に電話したんだ。こっちに来て俺たちが何を成し遂げたかを耳にしてくれ、ここでこの曲を聴いてみてくれって。連中がやって来て(曲を聴かせたら)、えらく興奮した。「これは名曲だ。いくらだ、いくら欲しい?契約条件は何だ?何でもするぞ」とね。この曲のお蔭で、俺たちは5枚のアルバムを出す5年契約と結構な大金を手に入れたんだ」 1995年にリリースされたアルバム『ミラー・ミラー (:en:Mirror Mirror (10cc album)』には、「アイム・ノット・イン・ラヴ」のアコースティック・ヴァージョン () が収録されており、シングル・リリースされた。また、日本版の『ミラー・ミラー』にはリミックス・ヴァージョン () も収録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アイム・ノット・イン・ラヴ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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