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アイユーブ朝 : ミニ英和和英辞書
アイユーブ朝[あいゆーぶあさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

アイユーブ朝 : ウィキペディア日本語版
アイユーブ朝[あいゆーぶあさ]

アイユーブ朝(、クルド語:دەوڵەتی ئەییووبی )は、12世紀から13世紀にかけてエジプトシリアイエメンなどの地域を支配した
スンナ派イスラーム王朝〔太田「アイユーブ朝」『岩波イスラーム辞典』、4頁〕。シリアのザンギー朝に仕えたクルド系軍人のサラーフッディーン(サラディン)を王朝の創始者とする。
1169年にエジプトを支配するファーティマ朝の宰相に就任したサラディンは、ザンギー朝から事実上独立した政権を樹立する〔〔佐藤「アイユーブ朝」『新イスラム事典』、41頁〕。サラディンはアッバース朝カリフの権威を認め、支配の正統性を主張してマリク(王)を称した。ファーティマ朝の実権を握ったサラディンは独自の政策を立案したため、後世の歴史家はサラディンが宰相の地位に就いた1169年をアイユーブ朝が創始された年と見なしている〔佐藤『イスラームの「英雄」サラディン』、73頁〕。サラディンの死後、国家の領土は各地の王族たちによって分割され、ダマスカスアレッポディヤルバクルには半独立の地方政権が成立した〔。アル=アーディルアル=カーミルアッ=サーリフら有力な君主の時代には一時的に統一が回復され、彼らはカイロで政務を執った〔佐藤『イスラームの「英雄」サラディン』、212頁〕。1250年マムルーク(軍人奴隷)のクーデターによってカイロのアイユーブ家の政権は滅亡し、シリアに残った地方政権も1250年代後半から中東に進出したモンゴル帝国とマムルーク朝の抗争の過程で消滅した。
== 歴史 ==

=== セルジューク朝、ザンギー朝時代 ===
12世紀前半、アルメニアに居住していたクルド人のシャージーはナジムッディーン・アイユーブシールクーフを連れてイラクに移住し、セルジューク朝の下でバグダードの軍事長官を務めるビフルーズに仕官した〔佐藤『イスラームの「英雄」サラディン』、21頁〕。シャージーはティクリートの城主に任じられ、彼の死後はアイユーブがティクリートの城主の地位を継承した〔。
1131年にセルジューク朝のスルターンマフムード2世が没した後に王位を巡る内戦が起こり、この戦争の中でアイユーブは敗走するモースルの領主イマードゥッディーン・ザンギーに助けを与えた〔前嶋『イスラムの時代』、295-296頁〕。1137年/38年にアイユーブはビフルーズの命令でティクリートを追われるが、城を失った日の夜にアイユーブの妻は男児を生み、生まれた子供はユースフ(後のサラディン)と名付けられた〔佐藤『イスラームの「英雄」サラディン』、20-22,28頁〕。ティクリートを失ったアイユーブは弟のシールクーフとともにモースルのザンギーの元に逃れ、ザンギーから迎え入れられた。アイユーブはシールクーフとともにザンギー配下の軍団の司令官に命じられ、1139年にはバールベックの知事に任命された。
1146年にザンギーが没した後にバールベックはセルジューク朝のダマスカス総督の攻撃を受け、アイユーブは現金・領地と引き換えに降伏した。1152年に14歳になったサラディンはアイユーブの元を離れ、ザンギーの子でアレッポを支配するヌールッディーン・マフムードに仕官する〔佐藤『イスラームの「英雄」サラディン』、55頁〕。サラディンはヌールッディーンからイクター(封土)を与えられ、彼に近侍した〔佐藤『イスラームの「英雄」サラディン』、55-56頁〕。ヌールッディーンがダマスカスへの進出を試みたとき、ダマスカスに居住していたアイユーブはヌールッディーンに仕えていたシールクーフと連絡を取りあい、1154年にヌールッディーンはダマスカスの無血開城に成功した〔佐藤『イスラームの「英雄」サラディン』、51-52頁〕。ダマスカスの開城後、アイユーブはヌールッディーンに協力したことを評価されてイクターとダマスカスの支配権を与えられ、引き続きダマスカスに留まった〔佐藤『イスラームの「英雄」サラディン』、56頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アイユーブ朝」の詳細全文を読む




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