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アイルランドのユーロビジョン・ソング・コンテスト : ミニ英和和英辞書
アイルランドのユーロビジョン・ソング・コンテスト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アイルランドのユーロビジョン・ソング・コンテスト : ウィキペディア日本語版
アイルランドのユーロビジョン・ソング・コンテスト[ちょうおん]

アイルランドのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、アイルランドにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。アイルランドは、ナポリで行われた1965年大会で初めてユーロビジョンに参加した。その後2009年に至るまでに、参加しなかったのは2回のみであり、ミュンヘンで行われた1983年大会タリンで行われた2002年大会に参加していない。アイルランド放送協会()は、大会のアイルランドでの業務を担当しており、アイルランド向けに大会を中継している。準決勝はRTÉ Twoにて、決勝はRTÉ Oneで放送される〔RTÉ:Eurovision . RTÉ.ie. Retrieved on 5 September 2007.〕。アイルランド代表として大会に参加した楽曲の歌詞は、1曲を除いて全て英語であり、1972年大会の「Ceol an Ghrá」のみがアイルランド語の歌詞であった。
アイルランドが初めて大会で優勝したのは1970年大会でのことであり、このときのアイルランド代表はDana Rosemary Scallonが「All Kinds of Everything」であった。2009年までの時点で、アイルランドは合計7回の優勝を果たしており、国別のユーロビジョンでの優勝回数は最多である。1990年代には、前例のない3連続優勝を含む4回の優勝を経験している他、2度は2位に入賞しており、最もユーロビジョンで成功を収めた国となっている。
アイルランドは過去に7回、ユーロビジョン大会を主催しており、うち1回を除いては首都のダブリンで開催された。この例外は1993年大会であり、前年の1992年大会でのLinda Martinの優勝によってアイルランドが主催権を獲得し、コーク州西部の人口1500人の町・ミルストリートで大会が行われた〔Millstreet . Cork-Guide.ie. Retrieved on 5 September 2007.〕。
== 参加歴 ==
アイルランドは、1965年の初参加からほぼ切れ目なく参加を続けており、1983年と2002年のみ不参加となっている。1983年は、アイルランド放送協会でのストライキによって、大会に参加する資金が不足したためであり、アイルランドでは英国放送協会の実況による映像をそのまま放映した。2002年、アイルランドは前年の順位が低かったことにより、その年の大会参加は認められなかった。
アイルランドからの延べ41曲の大会参加のうち、優勝は7回、上位5位以内は18回に上る。アイルランドが大会参加を認められなかったのは1度であり、2001年にGary O'Shaughnessyの「Without Your Love」が21位に終わったため、翌年の参加は不可能となった。
2000年代にはアイルランドの大会での順位は低迷している。2007年大会、アイルランド代表で参加したのは民俗音楽グループのDervishによる楽曲「They Can't Stop The Spring」であり、前年順位によって自動的に決勝への進出が認められたものの、決勝ではからの5得点を獲得するに留まり、最下位となった。2008年大会Dustin the Turkeyの楽曲「Irelande Douze Pointe」は決勝に進むことはできず、準決勝で敗退した。2009年大会でもSinéad MulveyBlack Daisyの楽曲は準決勝敗退に終わった。
6つのアーティストが複数回にわたってアイルランド代表に選ばれており、ジョニー・ローガン1980年大会1987年大会)、Linda Martin1984年大会1992年大会)、Tommy and Jimmy Swarbrigg1975年大会1977年大会にはThe Swarbriggs Plus Twoの一部として)、Maxi1973年大会にソロとして、1981年大会Sheebaの一員として)、Jedward2011年大会2012年大会)が複数回のアイルランド代表経験を持っている。また、Brendan Graham(1976年大会、1985年大会、1994年大会、1996年大会)、Johnny Logan(1984年大会、1987年大会、1992年大会)、Tommy and Jimmy Swarbrigg(1975年大会、1977年大会)、Liam Reilly(1990年大会、1991年大会)、Joe Burkett(1972年大会・作曲, 1981年大会・作詞)の6人が複数のアイルランド代表の楽曲の作詞や作曲に携わった経験を持っている〔Diggiloo Thrush - Ireland 〕。
1998年大会以前のアイルランドの参加曲のほとんどで指揮を担当したのはNoel Kelehanである。この例外となるのは、1965年(Gianni Ferrio)、1970年(Dolf van der Linden)、1972年から1975年(Colman Pearce)、1979年(Proinnsias O'Duinn)、1994年(指揮者なし)、1997年(Frank McNamara)であった。
アイルランドは他国の楽曲作成にも関与しており、1997年に大会の司会を務めたローナン・キーティングはの2009年の参加曲を製作している〔#2 BBC〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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