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アインザッツグルッペン(独:Einsatzgruppen)は、ドイツの保安警察 (SiPo) と保安部 (SD) がドイツ国防軍の前線の後方で「敵性分子」(特にユダヤ人)を銃殺するために組織した部隊である〔ラカー、p.201〕。 アインザッツグルッペンは複数表記で、単数形はアインザッツグルッペ(Einsatzgruppe)となり、直訳すると「出動集団」である。正式名称は「保安警察及び保安部のアインザッツグルッペン」(Einsatzgruppen der Sicherheitspolizei und des Sicherheitsdienstes)という〔大野、p.57〕〔山下、p.108〕。本稿では「アインザッツグルッペン」と表記するが、意訳で「特別行動部隊〔スナイダー、上巻〕」「特別任務部隊」という表記もよく見られる〔〔ロガスキー、p.53〕。それ以外には「移動虐殺(もしくは殺人・抹殺・殺戮)部隊」といった意訳も見られる〔〔ヒルバーグ、上巻p.209〕。 == 概要 == ナチス党政権下のドイツの保安警察及びSD長官(のち国家保安本部(RSHA)長官)ラインハルト・ハイドリヒにより創設された。アンシュルス(オーストリア併合)、ズデーテンラント併合、チェコの保護領下(ベーメン・メーレン保護領)、ポーランド侵攻、独ソ戦とドイツが東部へ領土を拡大するたびに保安警察、もしくは国家保安本部により組織された。 ポーランド侵攻以前のアインザッツグルッペンの銃殺活動は主に知識人・聖職者・政治家など指導層を対象とした〔ベンツ、p.85〕。対して独ソ戦におけるアインザッツグルッペンは、ユダヤ人やロマ、共産党幹部などを対象に銃殺を行った〔〔。 都市が陥落するとアインザッツグルッペンはその都市の「敵性分子」を集め、森や野原に追いたて、そこで銃殺して遺体を壕に埋めた〔〔。銃殺だけではなく、ガス・トラックによる虐殺も行われた〔〔ロガスキー、p.60〕。アインザッツグルッペンは1943年に解散された〔。 アインザッツグルッペンの虐殺行動は一面ではパルチザン(民間人に成り済まして攻撃を行うゲリラ)掃討の意味も持っていたが、各隊隊長たちの殺害報告書には「ユダヤ人」などと人種の項目も独立して記載されているため、単なるゲリラ掃討部隊とは認められていない。ホロコーストの一翼を為すものであったとする見方が大勢である。またパルチザンと何の関係もない民間人も大勢「パルチザン」ないし「共産主義者」と勝手な認定を受けて虐殺されていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アインザッツグルッペン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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