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アイ・ハヌム
アイ・ハヌム(Ai-Khanoum, Ay Khanum)は、アフガニスタン北部のタハール州にあったギリシャ人による古代都市で、アレクサンドロス3世による征服後の紀元前4世紀に作られたグレコ・バクトリア王国の主要都市。アレクサンドリア・オクシアナ (Alexandria on the Oxus) に比定され、後の (Eucratidia) の可能性もある。"Ai-Khanoum" という名称はウズベク語で「月の婦人」の意〔Bell, George. "''Journal of the Royal Society of Arts''". Royal Society of Arts, 1970. p. 445 〕。オクサス(Oxus、現在のアムダリヤ川)とが合流する地点にあり、インド亜大陸への玄関口だった。アイ・ハヌムは約2世紀に渡り東洋におけるヘレニズム文化の中心地だったが、エウクラティデス1世の死後間もない紀元前145年ごろ遊牧民月氏の侵入によって壊滅した〔Bernard, P. (1994): "The Greek Kingdoms of Central Asia." In: ''History of civilizations of Central Asia, Volume II. The development of sedentary and nomadic civilizations: 700 B.C. to A.D. 250.'' Harmatta, János, ed., 1994. Paris: UNESCO Publishing. ISBN 92-3-102846-4, p. 103.〕。 その遺跡は、1964年から1978年まで率いるアフガニスタン考古学フランス調査団が発掘し、ロシアの科学者も発掘を行っている。アフガニスタン紛争によって発掘は中断し、その地は戦場となってしまい、もはやほとんど原形をとどめていない。 == 立地条件 ==
この地に都市を築いた理由はいくつか考えられる。大きな川のほとりにあるため、農業用の灌漑水に事欠かなかった。アイ・ハヌムからヒンドゥークシュ山脈に向かう地域は鉱物資源が豊富で、特に歴史的バダフシャーン地方(現バダフシャーン州)のから産出する「ラピスラズリ」が特に有名である。その他、「ルビー」(実際にはスピネル)や金などもある。さらに、バクトリアの中でも北方の遊牧民の領域と接している地点で、特に中国との交易に重要な場所だった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アイ・ハヌム」の詳細全文を読む
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