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アウグステ・カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル : ミニ英和和英辞書
アウグステ・カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アウグステ・カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル : ウィキペディア日本語版
アウグステ・カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル[ちょうおん]

アウグステ・カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルAuguste Karoline von Braunschweig-Wolfenbüttel, 1764年12月3日 - 1788年9月27日)は、ヴュルテンベルク公子フリードリヒ、後のヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の最初の妃。
== 生涯 ==
ブラウンシュヴァイク公カール・ヴィルヘルム・フェルディナントイギリス王女オーガスタの長女(第1子)として、ブラウンシュヴァイクで生まれた。イギリス王妃となったキャロライン・オブ・ブランズウィックは妹である。1780年、ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲンの嫡子フリードリヒ・ヴィルヘルムと結婚、4子を生んだ。
*ヴィルヘルム1世(1781年 - 1864年)
*カタリーナ(1783年 - 1835年) - ヴェストファーレンジェローム・ボナパルト
*ゾフィア・ドロテア(1783年 - 1784年)
*パウル(1785年 - 1852年)
結婚後すぐにフリードリヒは妻に対して暴力をふるうようになり、1786年12月に夫妻でロシア訪問の際、アウグステは女帝エカチェリーナ2世の私室へ避難したほどだった。エカチェリーナは、フリードリヒがロシア宮廷から去るよう求める手紙を書くよう指示した。これに、皇太子妃マリア・フョードロヴナ(フリードリヒの妹)が兄を援護し抗議した。エカチェリーナは『ヴュルテンベルク公子の不名誉を隠すのは私ではない』という素っ気ない返事を書いた。
アウグステの父は娘にまったく同情せず、娘の離婚の申し立てを拒絶した。この返答の為、エカチェリーナは帝国領であるローデ(現在のタリン近郊)にアウグステの住まいを提供してやった。アウグステはローデの城で、23歳の若さで死んだ。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アウグステ・カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル」の詳細全文を読む




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