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アウグステ・フォン・ハラハ
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アウグステ・フォン・ハラハ : ウィキペディア日本語版 | アウグステ・フォン・ハラハ
アウグステ・フォン・ハラハ (Auguste Gräfin von Harrach, 1800年8月30日 - 1873年6月5日)は、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の2度目の妻。 ハラハ伯フェルディナント・ヨーゼフ・フォン・ハラハ・ツー・ローラウの娘として、ドレスデンで誕生。ハラハ伯爵家は、ボヘミア系オーストリア貴族であった。最初の妃ルイーゼを亡くしてから長らく独身であった、54歳のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世と1824年11月9日に結婚。同時にリーグニッツ公爵夫人、ホーエンツォレルン伯爵夫人に授爵された。これは、王族でないアウグステに宮廷での地位を与えるためであったが、ドイツ諸国にあまた多い一介の伯爵令嬢を正式の妃として迎えることにはならず、アウグステとの結婚は貴賤結婚とみなされた。彼女はシャルロッテンブルク宮殿、ショーンハウゼン宮殿に住まうことを許された。16年ほどの結婚生活で夫との間に子供はできず、政治の舞台へ現れることもなかった。1873年、ヘッセンの保養地で死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アウグステ・フォン・ハラハ」の詳細全文を読む
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