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アウグストゥフ()は、ポーランド北東部に位置する町。リトアニア語名はアウグスタヴァス(Augustavas)で、1995年時点の人口は2万9600人である。ネッタ川とアウグストゥフ運河に面し、かつてはスヴァウキ県に属したが1999年の行政区分再編でポドラシェ県に組み込まれた。アウグストゥフ郡とアウグストゥフ地区の中心都市である。 == 歴史 == 1496年に初めて歴史上に登場し、1557年にジグムント2世から都市権を賜った。かつてはリトアニア大公国に属したが、1569年のルブリン合同でポーランド王国の一部となり、町の墓地は大公国領に移された。1656年にタタール人から襲撃を受け、17世紀後半には伝染病に悩まされた。 1795年にプロイセンに併合されたが、1807年にはワルシャワ公国領となり、1815年のウィーン会議でポーランド立憲王国に組み込まれた。1842年に郡都となり、1899年には鉄道が敷かれた。 第一次世界大戦では1914年にロシア軍のもとに陥落し、その余波を受けて勃発したポーランド=リトアニア戦争でも1920年に戦場となった。1939年から1941年にかけてはソ連軍のもとで多くの住民がカザフスタンに送られたが、その一部は6年後に帰還できた。第二次世界大戦では1944年のナチス退却までに市街の7割が壊滅し、住民の大多数が死亡もしくは疎開、数千人のユダヤ人も壕に囲われたゲットーに収容され、退却までにそのほとんどが抹殺された。1945年にはソ連がポーランド国内軍の反共部隊掃討作戦を展開した。 1970年に保養地になり、1973年には周囲の村々と合併した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アウグストゥフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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